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"We are Belgium" RIDLEY本社訪問レポート
2012.06.04
リドレー(RIDLEY)は自転車王国ベルギーのトップブランドであり、ロット・ベリソルの第3スポンサーとして今年も世界のトップレースで成功を収めている。同チームにはスプリンターのアンドレ・グライペル、ステージレーサーのユルフン・バンデンブルック、クライマーのイェル・バネンデルトが所属し、6月30日に開幕するツール・ド・フランスでの活躍も期待できそうだ。リドレーはUCIワールドツアーの前身であるプロツアーがスタートした2005年に、ベルギーのロット(当時はダビタモン・ロット)と4年契約を結び、それ以来ずっとトップチームに最高の機材を供給しつづけている。2009年、2010年はロシアのカチューシャ、昨年はオランダのバカンソレイユ・DCM、そして今年からまたロットとのパートナーシップを結び、母国のチームへと戻ってきた。
ブランド名の由来は意外と知られていないが、実は著名な英国の映画監督のファーストネームだ。歴史はまだ浅いものの「We are Belgium(我々はベルギー)」のスローガンの下、ノア、ディーン、Xナイトといった名車を世界へと送り出している。本社はハッセルト郊外のパール・ベリンヘンにあり、2010年に移転したばかりで新しく、スタイリッシュな内装はアトリエか美術館のようだった。それは芸術作品のような美しい塗装にこだわる、若き実業家が起業したリドレーならではの社屋だった。
工場の片隅で無造作に積み上げられていたXナイト。よく見るとフレームにはケビン・パウエルスやクラース・バントルノートといったシクロクロスのトップ選手たちのネームステッカーが貼られていた。フレームのあちらこちらに残るキズは、厳しい実戦の記憶だった。
リドレーはロードレースよりも先にシクロクロスへのプロ供給をスタートし、その集大成として2005年に誕生したのがフルカーボンフレームのXナイトだった。この10年間で、リドレーは世界選手権を7度制し、シクロクロス界の頂点に君臨している。現在はベルギーのトップチームであるテレネット・フィデア、サンウェブ・リボールの2チームに自転車を供給し、彼らはそのサポートを通じて『リドレー・パートナー・ディベロップメント・フィロゾフィー』と称したビジネス哲学を追求している。パウエルスのようなトッププロ選手が、実戦を通して自転車に求めたリクエストが改良や開発に生かされ、商品を最高の状態で消費者市場に送り出すことを可能としているのだ。このビジネス哲学のために、リドレーのスタッフは選手やチームのメカニックと親密な関係を築いている。
リドレーの魅力の1つは、美しい塗装だ。「ステッカーを貼っているのではないんだ」というフレームの細かい模様やロゴは、一体どうやって塗装されているのか?
まずはそれぞれのフレームの大きさに合わせた塗装のデザインをコンピューター上で作成し、塗料に強い特殊なフィルムでマスキングシールを作る。それをフレームに貼り、塗装したい部分は先に剥がしておく。塗装はもちろん1台1台手作業だ。そして最後に残りのマスキングシールを上の写真のように剥がすと、美しいロゴやデザインが姿を現すという仕組みだ。この作業をカラーごとに何度も繰り返せば、見事にペイントされたフレームが誕生する。マスキングシールをフレームに貼ったり剥がしたりする細かい作業の現場では、女性スタッフが活躍していた。このすべてが手作業で行われるため、リドレーの生産台数は年間3万台。他の大手ブランドに比べると多くはないが、これこそがまさに「We are Belgium」のこだわりなのだ。
リドレーのヨキム・アールツ社長は若干41歳。ベルギーで人気のアパレルブランド、G-Star RAWを着こなすダンディな実業家だ。彼が4歳の時、10歳年上の兄ステファンが自転車競技を始め、レースと自転車はアールツ家の日常になった。ヨキム少年も兄の後を追い、14歳で自転車競技を始めた。彼は結局プロ選手にはなれなかったが、ジュニアクラスで表彰台に30回上がる成績を残している。
電気工学を学んだ後、19歳の時に自宅のガレージで、兄が働いていたビオレーサーのフレーム塗装と組立の下請けを父親と一緒に始めた。それが彼のサクセスストーリーのスタート地点だった。裏庭のガレージで始めたファミリービジネスは、20年後には12000平方メートルの本社工場を持つベルギー屈指の自転車メーカーへと成長したのだ。リドレーは現在、世界40カ国で販売されている。この功績が認められ、彼は昨年、地元リンブルフ州で若手実業家のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
多くのベルギー人がそうであるように自転車競技を心から愛し、その情熱をビジネスへと転化させたアールツ社長だが、人生でもっとも大切なことは息子のノアとディーン、そして娘のリズマリーの父親であることだそうだ。2人の息子の名前、どこかで聞いたことがあるような…。