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2010年ロードレース 10大ニュース

年末恒例企画! 2010年にヘッドラインをにぎわしたロードレースの10大トップニュースをセレクト

PART-1: コンタドールがツールの検査でクレンブテロール陽性

2010年最大のニュースと言えば、ツールで優勝したスペインのアルベルト・コンタドール(アスタナ)がドーピング検査で陽性になった事件がまっさきに上げられる。彼が禁止薬物のクレンブテロールで陽性になったニュースは、国際自転車競技連合(UCI)によってメルボルン世界選開幕中の9月30日に発表された。その値は1mlあたり0.00000000005グラムと非常に微量で、コンタドールは検査が行われた2度目の休養日に食べた肉が汚染されていたのだと弁明した。しかし、世界アンチドーピング機構(WADA)はこの弁明を却下。UCIは11月8日に、彼が所属するスペイン車連に対して、懲戒手続を始めるように要請した。スペイン車連がコンタドールが有罪だと判定すれば、彼には2年間の競技停止処分が下され、今年のツール総合優勝も剥奪されることになるだろう。コンタドールは年内の解決を望んでいるが、スペイン車連は最低でも2ヶ月はかかると考えている。この問題が解決するのは年明け後になりそうだ。

PART-2: アンディ・シュレク、まさかのチェーントラブル

今年のツール・ド・フランスで世界中が叫喚したのは、ピレネー山岳区間でマイヨ・ジョーヌのアンディ・シュレクが、チェーンの脱落で総合争いのグループから遅れた瞬間だった。7月19日にパミエからバニェール・ドゥ・ルションルベル間で競われた第15ステージで、総合争いのグループにいたシュレクは、終盤のポルト・ド・バレス峠でアタックしたが、その直後に自転車のチェーンが外れるアクシデントに見舞われ、自転車を降りなければならなくなった。その間にアルベルト・コンタドール、サムエル・サンチェス、デニス・メンショフの3人はメイングループから抜け出し、シュレクに39秒差を付けてゴールした。この日総合首位に立ってマイヨ・ジョーヌを獲得したコンタドールはレース後、「シュレクのトラブルには気がつかなかった。知ったときにはもう先行していた」と、弁明したが、表彰台で観客からブーイングを浴びせられる目に遭い、同夜ビデオメッセージでシュレクに謝罪した。皮肉にもシュレクは、今年のツールの総合優勝を39秒差で失っている。

PART-3: アームストロング最後のツールで28ジャージ騒動

昨年現役復帰を果たした米国のランス・アームストロング(チームレディオシャック)は、ツール・ド・フランスを走るのは今年が最後だと公表した。ツールを7度制したアームストロングにとって最後のツール挑戦は、優勝したアルベルト・コンタドールよりもほぼ40分遅れた総合23位で、完全な敗北だった。しかし王者アームストロングは、最後までツールの主役でいることを望んでいたのだろう。彼は最終日にレディオシャックのチームメートともに、世界中で2800万人がガンと闘っていることを示す、背中に大きく28と書かれた真っ黒なスペシャルジャージでスタートした。ところがUCIコミッセールはこのジャージをルール違反として認めず、オフィシャルスタート前に全員が路上で着替えさせられる珍事となってしまった。アームストロング以下、レディオシャックの参加選手と監督は罰金を課され、ツイッターにUCIコミッサールを侮辱する発言を書き込んだマネージャーのヨハン・ブリュイネールは、来年2月1日から3月31日までの停職処分も食らってしまった。

PART-4: イタリア代表監督のバレリーニが事故死

イタリア代表監督のフランコ・バレリーニが2月7日に、地元で開催したカーラリーの事故で急死した。享年45歳だった。バレリーニは90年代にパリ~ルーベで2度優勝し、『ミスター・ルーベ』と呼ばれた名選手だった。2001年に引退したあと、すぐにイタリア代表監督に就任。監督を務めた9年間で、イタリア代表チームを世界選で4度優勝に導き、アテネ五輪も制した。ラリー好きだったバレリーニは運命の日、ラルチャーノが開催されたラリーの大会にナビゲーターとして参加して事故に巻き込まれ、帰らぬ人となってしまった。葬儀には5000人以上が駆けつけ、早すぎる死を悼んだ。バレリーニの後継者としてイタリア代表監督に選ばれたのは、彼とともに世界選と五輪を制したチャンピオン、パオロ・ベッティーニだった。2008年で引退したベッティーニは、すでに昨年のメンドリーズィオ世界選からバレリーニのアシスタントとして働いていた。しかし監督デビューとなったメルボルン世界選は、フィリッポ・ボッツァートが4位という結果に終わっている。

PART-5: ツール・ド・スイス参加中にキルシェンが心臓発作

6月に開催したツール・ド・スイスで、ルクセンブルクのキム・キルシェン(カチューシャ)が宿泊先のホテルで心臓発作に見舞われ、チューリヒの病院に緊急入院する騒ぎがあった。第7ステージ終了後の6月18日深夜、ルームメートのホアキン・ロドリゲスがキルシェンの異変に気づいた。駆けつけたチームドクターが診察したときには彼の心臓は止まっていたが、心肺蘇生によって一命は取り留めた。搬送先の病院は病状を安定させるためにキルシェンを薬理学的な昏睡状態にし、治療と検査を続けた。さいわい梗塞症や血栓症の症状は見当たらず、4日後には昏睡状態がとかれたが、覚醒したキルシェンは、心臓発作を起こした時のことをまったく覚えてなく、病室で付き添っていた父親と妻に「何が起きたのか」と、たずねたという。チーム監督の話では、彼は今春心臓疾患の手術を受けていて、今回の発作もそれが原因ではないかと疑われているが、原因ははっきりしていない。回復したキルシェンは来シーズンから競技に復帰したいと望んでいるが、まだ最終決定は発表されていない。

PART-6: ルクセンブルクでシュレク兄弟のためのチーム始動

小国ルクセンブルクから世界に挑むフランクとアンディのシュレク兄弟のために、ルクセンブルクでプロチームを結成するというビッグプロジェクトがツール開幕前に始動した。このプロジェクトは5月にルクセンブルクの実業家が、デンマーク人のブライアン・ニゴーに話を持ちかけてきたのが発端だった。マネージャーに選ばれたニゴーは、サクソバンクを辞めたキム・アンデルセン監督とともにプロジェクトの実現を目指し、各国のトップ選手との契約を次々と取り付けた。とくにサクソバンクからはシュレク兄弟を含めた8人のトップ選手を引き抜くことに成功している。このおかげでUCIが来季のUCIプロチームライセンス発給のために作成したチームの格付けランキングで、ナンバーワンに輝いた「ルクセンブルクプロサイクリングプロジェクト」は、タイトルスポンサーが発表されないまま、UCIプロチームのライセンスも獲得している。チームプレゼンテーションは来年1月6日に行われる予定で、その日、ビッグプロジェクトの全貌が明かされることになるだろう。

PART-7: 世界選でフースホフトが優勝し、新城が9位

2010年のレースシーンでは、新旧さまざまな選手が活躍した。グランツールではジロ・デ・イタリアでイバン・バッソが復活優勝し、ブエルタ・ア・エスパーニャでは新鋭ビンチェンツォ・ニーバリが初制覇とイタリアのリクィガス・ドイモが大活躍。クラシックではスイスのファビアン・カンチェッラーラ(サクソバンク)がロンド・バン・ブラーンデレンとパリ~ルーベを制し、ベルギーのフィリップ・ジルベール(オメガファルマ・ロット)がアムステル・ゴールド・レースとジロ・ディ・ロンバルディアを制した。しかし何と言ってもオーストラリアで初めて開催されたメルボルン世界選手権で、ノルウエーに初めてアルカンシエルを持ち帰ったトール・フースホフト(サーベロテストチーム)の活躍が輝いていた。たった3選手で闘った国が世界選を制したのは、2000年のラトビア以来だった。メルボルン世界選では新城幸也(Bボックス・ブイグテレコム)が9位に入る快挙を成し遂げ、日本の自転車競技史にとっも記念すべき日になった。

2010年、こんなニュースもありました…

【PART-8 バルベルデがプエルト事件で2年間競技停止処分】 2006年にスペインで起こった巨大ドーピング事件『オペラシオン・プエルト』への関与疑惑が長年取り沙汰たれさていたスペインのアレハンドロ・バルベルデ(ケスデパーニュ)が、5月にスポーツ調停裁判所から2年間の出場停止処分を下された。処分は今年1月1日にさかのぼって適用され、彼は2012年12月31日までレースに参加できなくなってしまった。バルベルデは今季ツール・ド・ロマンディアの総合優勝を含めて5勝していたが、その成績はすべて剥奪されてしまった。UCIは彼が昨年以前に獲得した優勝についても剥奪することを望んでいたが、それは調停裁判所が却下している。マドリードを拠点として行われていた血液ドーピングが暴かれた『オペラシオン・プエルト』では、多くのアスリートにドーピングを行っていたエウフェミアーノ・フエンテス医師が法的に裁かれないままでいたが、彼は12月9日に再逮捕されている。これをきっかけに、プエルト事件の全面解決がなされることを願いたい。 【PART-9 カンチェッラーラが疑われたメカニカル・ドーピング騒動】 4月のクラシックレースでは、スイスのファビアン・カンチェッラーラ(サクソバンク)がロンド・バン・ブラーンデレンとパリ~ルーベを圧倒的な走りで優勝して話題になったが、その1ヶ月後のジロ・デ・イタリア開催中に、イタリアのTV局RAIが、自転車のフレームのなかに電動モーターを仕込むメカニカル・ドーピングが、長年レースで行われていると告発して大騒動になった。この番組が放送された翌日、YouTube上にメカニカル・ドーピングを詳細に解説したビデオがアップされ、この違反行為を行っているのは、春のクラシックを制したカンチェッラーラであるかのように演出されていた。この騒動を重く見たUCIは、ツールで選手が使用した自転車をスキャナーで検査する“メカニカル・ドーピング・コントロール”の実施に踏み切った。プロローグ終了後に行われた検査に選ばれた14選手には渦中のカンチェッラーラも入っていたが、もちろん不正行為は誰の自転車からも見つからなかった。ツール以降、メカニカル・ドーピングはほとんど騒がれなくなっている。 【PART-10 チームスカイがブエルタで謎の病気】 8月下旬に開幕したブエルタ・ア・エスパーニャで、英国のチームスカイが原因不明の病魔に襲われ、マッサージャーが亡くなる悲劇が起きた。チームスカイの選手やスタッフが発熱や嘔吐などの体調不良を訴え出したのは、ブエルタがセビリアで開幕した翌日の夜からだった。チームは最初、食中毒ではないかと疑ったが、問題の夜に選手とスタッフは別々の食事を取っていたため、原因は別にあると考えられた。はっきりとした原因がわからないまま、第3ステージではジョンリー・オーガスティンとベン・スウィフトがレースをリタイア。そして第7ステージ開催中、セビリアの病院に入院していたマッサージャーのチェマ・ゴンサレスさんが息を引き取った。死因は細菌感染が原因の敗血症だった。この訃報を受けて、チームスカイはブエルタからの撤退を決断。翌日のスタートで黙祷に参加した後、レースを去った。それ以後、チームスカイはこの一件についてのリリースは出しておらず、結局彼らが患ったウイルス性胃炎の原因はわからず仕舞いになっている。