ノーカット版!ロードバイクの名車とは<後編>
新素材への移行が本格化
CS 90年代に入るとチタンが登場して、その後はアルミになってカーボンへと移行する感じになるのでしょうか。
吉本 レモンがツールを制した80年代中頃から、それまでのビチューとアランに代わってルックやTVTの接着式カーボンフレームが注目を浴びることになります。
仲沢 80年代の終わりぐらいから90年の初めぐらいはTVTが多かったですね。
当時の雑誌をよく見ると「あ、この選手もTVTに乗っている!」というのもいっぱいあって。
吉本 89、90年にツールを勝ったレモンも、ツールを5連覇したM・インデュラインも供給メーカーのカラーリングを施したTVTに乗っていましたからね。
それがいまのタイムに通じているんですけどね。
CS タイムはもともと自転車のメーカーだったんですか?
仲沢 ペダルですね。もともとルックにいた技術者が独立してペダルを作って、その後にフレームメーカーになったんです。
吉本 TVTやルックが登場してそのままカーボン化が進むのかと思いましたけど、溶接アルミの台頭によってカーボンで目立つのはルックぐらいになってしまいましたね。
CS 接着カーボンの頃はチューブだけがカーボンでラグはアルミだったんですか?
仲沢 最初はアルミラグですね。カーボンラグを最初に採用したのはコルナゴ・C40が代表的な存在です。
でもしばらくはカーボンフレームができるメーカーは限定されていましたよね。ルックとコルナゴとタイムと、それぐらいでしょうか。
吉本 コルナゴはモノコックモデルのC35を89年に発表するなど、カーボンには早くから取り組んできたメーカーですね。
仲沢 C40の前にはカルビチューボがありましたね。
吉本 双胴ダウンチューブのカーボンフレームですね。91年発表ですよね。
仲沢 カルビチューボは89年にはありましたね。スーパークリテリウムで来日した選手のコルナゴはカルビチューボでしたもんね。
CS スーパークリテリウムとは?
仲沢 東京・立川の昭和記念公園にヨーロッパのプロ選手を招いて、87年と89年にクリテリウムレースを開催したんです。
吉本 当時、いまのプロツアーレースに相当するクラシックレースやグランツールの優勝者を集めたんです。
ローラン・フィニョンやフランチェスコ・モゼールなど、当時のスーパースターによるレースでした。
バブルで日本にはお金があったから、こうした選手達を呼ぶことができたんですね。いい時代でした。
CS いまじゃ考えられないです。
吉本 で、コルナゴはC35にはじまりカルビチューボ、C40とカーボンフレームを進化させてきました。
だからスチール、チタン、アルミが混在していた時代でも、ずっと進化を止めずそれがいまに続いているので、あれはすごいですよね。
仲沢 改めてすごいブランドですよ。コルナゴって。
CS で、カーボンラグのバイクが増えるんですか?
吉本 C40は94年に登場しましたが、同時にその頃は溶接アルミが登場して以降は進化を遂げます。
メガチューブ化されたり、ピナレロ・ケラールライトのようなメタルマトリクス仕様のチューブが出てきて、アルミは固くて軽くてという風になってゆきます。
CS アルミ進化の方向性は大径化? それとも合金として進化する?
吉本 両方ですね。レースでもどんどん平均時速が上がっていって、さらに選手たちは硬いフレームを求めるようになった。
それこそ今中大介さんがポルティに所属していた頃のコッピ・ギャラクシーみたいな、バリカタなアルミの時代がやってくるわけですよ。
仲沢 薄肉大径化の時代ですね。
CS それであげるとすれば、どんなモデルですか?
安井 僕はビアンキっていうイメージがありますね。
仲沢 コッピもイメージとしては大きい。あとカレラですね。
アルテックからはじまって、それはまだ初期のころだからチューブも太くないし。
肉厚もあったけども、イーストンのチューブが入ってきて、みんな内緒でイーストン・エリートなどを使っていましたね。
で、コロンブスが慌ててアルテック2を作って、それがヨーロッパで主流になって。
吉本 そして90年代半ばから2000年初頭にはアルミの全盛期がやってきます。
例えばルックみたいにカーボンに特化したメーカーでもこの流れには抗えず、アルミモデルをラインナップしていました。
コルナゴだってフルアルミのドリームとかありましたし。
仲沢 そうですねアルミ全盛時代には、けっこうみんなひよっちゃいましたね。タイムだってアルミモデルがありましたしね。
CS タイムのアルミか……、想像つかないですね。
安井 黄色いヤツ?
吉本 カジノレプリカですよ。ちょっと話はそれますけど、僕はタイムのヘリックスシリーズを今回のリストにあげたんですよ。
仲沢 ああ、ヘリックス!
吉本 ヘリックスはセールス的にはまったくダメで、日の目を浴びなかったんですけど。あれはタイムらしいマニアックなフレームでした。
安井 なんか、剛性を変えられるみたいな?
吉本 同じフレーム形状で3種類の剛性をラインナップしていました。
ブリヂストン・ネオコットクロモリプロフェッショナルのカーボン版的な感じ。
あれは欲しかったけど買えませんでしたね。
仲沢 ああ、僕も買えませんでしたね。
吉本 しかもインテグラルヘッドでしたね。あの時代に。
インテグラルヘッドって実はピナレロがやる前から似たような機構はあるんですよね。
仲沢 コッピのビアンキとかはインテグラルヘッドですよね。
CS えー!
吉本 ビチューもやっていましたね。ZXなんとか……。
仲沢 ZX1だったかな
吉本 あれもインテグラルヘッドのコンセプト。90年代でしたか。
CS まだそのころは普及しなかったんですよね?
吉本 普及しませんでしたね。ビチューがやってたってのが、たぶんよくなかった。
さっき仲沢さんがおっしゃっていたように、強い選手が乗って活躍していれば普及していたかも。
仲沢 ですよね。
吉本 やっぱり名車たるものは、名選手なしには語れないですね。
CS イノーの次に自転車のスタンダードを作った選手というのは?
仲沢 レモンの影響はやはりでかいと思いますよ。
吉本 DHバーを持ち込んで、TTに革命を起こした男ですからね。
仲沢 ヘルメットかぶって、オークリーのサングラスかけて。
吉本 そうですね。いまのレーシングスタイルですね。
仲沢 確立しましたよね。
吉本 その後はミゲール・インデュライン時代ですね。
91年から95年は。インデュラインの活躍によって、ピナレロがぐっとのし上がってくる。
その前にはペドロ・デルガドがいるんですけど。
仲沢 そうそう、88年にデルガドで1回優勝して『お!ピナレロいいじゃん』みたいな感じになってきて。
CS インデュラインが活躍したときはアルミバイクですか?
仲沢 91年まではTVTでした。92年、93年、94年とスチールになって、95年でアルミに乗る。
吉本 それがケラルライトですよね。
仲沢 あのバイクはツールを2年連続で勝っています。95年のインデユライン、96年はビャルネ・リースがね。
吉本 で、翌年の97年にピナレロ・パリでヤン・ウルリッヒが勝つというわけですよ。
このピナレロの成功がアルミフレームを決定づけましたね。
翌年はパンターニがビアンキでダブルツールを達成していますし。
仲沢 ツール常勝ブランドになったのは、ピナレロの運命を変えましたよね。
まだ88年にデルガドが勝ったころは数あるイタリアブランドのひとつだったという感じなのが、特別なブランドに変わりましたよね。
吉本 これでコルナゴ、デローザに並んだ感はありますね。
安井 当時のパリとプリンスの人気って異常でしたよね。
仲沢 すごかったですね。バックオーダーをものすごく抱えて。
安井 やっとここらへんで僕の記憶が入ってきましたね。でもなんか、すごかったですよね。プリンスって買えなくて。
CS 価格が高いというより、モノがなくてですか。
仲沢 1年待ちとか
安井 そうそうそう、雑誌でも大絶賛していて、すごい人気でした。
仲沢 インデュラインがピナレロブランドの人気の下地を作って、その後ケラルライト、パリ、プリンスと。
すごい自転車を次々と作って。
いまの地位を確立したって感じですかね。
CS アルミの盛り上がりというと、キャノンデールのキャード(キャド)シリーズを外せないと思うのですが、いつ頃なんですか。
仲沢 キャド3が活躍したのは97年で、98年がキャド4になりましたね。
吉本 カレラはアルテックでアルミの先鞭をつけて、その後はハーキュレスや軽量モデルのブラックナイトとかを出して、アルミの流行によって一気にメジャーブランドになりましたね。
仲沢 あのころのカレラは本当にかっこよかったなあ。
性能とは全然関係ないですけども、キャプーチが乗った頃のカレラは、カラーがすごくきれいでしたね。
白地にブルーのグラフィックで、あれを好きな人はすごく多いですよね。
安井 ああ、いいですよねー。
仲沢 カレラが登場してから、芸術的なペイントが出てきたって感じがしますね。ピナレロも美しかったですし。
吉本 確かに、ペイントでもリードしていましたね。当時のカレラは。
仲沢 すごく美しかったなあ。いまでもあれは欲しいですね。
カーボンバック、スローピングフレームの登場
CS そろそろ、いまのカーボンフレームがどのようにして登場するかについて、つなげていきたいのですが。
仲沢 98年にピナレロがカーボンバックを投入してきて、ツールではパンターニに破れはしたもの、カーボンバックはいいなって。
すでにアルミは固いというのが通説になっていて、それで少しでもやわらげるためにカーボンフォークを使ったり、後ろはカーボンバックにしたりとかで、力は逃げないし乗り味もいいバイクになっていった。
CS カーボンの搭載はアルミの高剛性が過剰になり、選手の身体も耐えられなくなってきたからなんですか?
仲沢 一般的にはそう語られますけど、本当のところはどうなんだろう。今中さんなんかに言わせると「いやもう、選手は硬いほうがいいよ」って。
吉本 プロレベルの選手は、そういいますよね。
カーボンへの移行は性能面だけでなく、生産コストの低下を含めた技術革新という部分が大きかったように思えます。
ロード選手が乗るバイクはF1みたいな市販車と異なるワンオフではないわけで、基本的に市販車の延長線上にあるものですから。
仲沢 カーボンバックはだからフルアルミのフレームからいまのフルカーボンに移っていく過程での試行錯誤の時代ですよね。
CS カーボンバックっていうのはピナレロ・プリンスぐらいからですか?
吉本 先鞭をつけたのはピナレロのプリンス、カレラ・ハーキュレス。インテグラルヘッドも搭載していましたね。
CS プリンスは98年ですか?
仲沢 市販されたのは99年。98年はまだプロトタイプだったんですよね。
そういえば、あのカーボンバックってエリックスと一緒でしたよね。
あれもかっこよかったけど。市販はされなかったな。
CS タイム製のバックステーを差し込んでいたんですか。
吉本 当時のピナレロのカーボンフォークとシートステーはタイム製。
当時のタイムのフレーム部門は、カーボンフォークの発売や各社のカーボン製品のOEMをおもな業務にしていました。
フレームを作ることはできたのですが、自分たちがそれをすると商品を納入しているメーカーの商売を妨げるという考えから、行なわなかったと言われています。
その間に基礎研究を行ない、来たるべきカーボンフレーム全盛期に備えていたのです。
仲沢 あと、大きなトレンドいえば、98年にジャイアントがTCRシリーズでスローピングフレームを投入したのも忘れてはいけない出来事でしょう。
吉本 ああ、そうですね。
仲沢 最初見た時はすごい違和感ありましたね。格好悪いな~って。ロードで、スローピングかよ!って思いましたね。
CS ロードでスローピングというのは、TCRが初なんですか?
仲沢 ですね。その、小規模なメーカーなどのオーダーや、小さな女性用にというのはありましたけど、大々的に普通の大柄の選手にも乗せるフレームとしては最初でしたね。
吉本 スローピングフレームもMTBによってもたらされた部分はありますね。
CS なるほど。いまはスローピングの方がスタンダードみたいな時代ですよね。で、スローピングフレームの有効性を印象づけた選手というと?
仲沢 当時だとローラン・ジャラベールとアブラハム・オラーノかなあ。
安井 パンターニは後なんですね。
仲沢 パンターニは98年のビアンキに乗っている。あれもスローピングですよね。
安井 なんか、上りに強いイメージができたような。
吉本 あれもフルアルミのバイクとしては名作ですね。
CS ビアンキ・EV2ですか?
仲沢 そうEV2。
フルカーボンバイクへの進化
CS 現在のようなカーボンの波が押し寄せるのはいつ頃からだったのでしょう。
仲沢 アルミからカーボンに移行する過程で、アームストロングが99年からツールを連覇したのは大きいですね。
CS やっぱり、あの出来事からいっせいにフルカーボンバイクに開発の舵が切られていくことになるのでしょうか?
仲沢 あれから各社の目がカーボンに向いていきましたよね。
プリンスが大ヒットして、どこのメーカーもカーボンバックを作ったけども、フルカーボンでフレームを作れるのなら、そうしたほうがいんじゃないか?
みたいな感じになってきて。それをひっぱっていったのがトレックだし、コルナゴではないでしょうか。
吉本 しかし、考えてみるとコルナゴはカルビチューボやC50で多くのクラシックレースやジロを勝利したのだから、
もっと早くにカーボンフレームがメジャーになってもよかったとも言えますよね。
仲沢 やっぱり、ツールで勝ってないからじゃないですか? ツールの勝利ってすごくでかいですよね。
ヨーロッパとかアメリカのブランドのトップの人たちも、みんな言うじゃないですか。とにかく「ツールで勝つ事が大切」だって。
ピナレロの社長ファウストも、ジロは地元のレースだから優勝は必要だけど、ツールで勝つ事はその100倍大切だとかいいますからね。
よくわかっていますよね。あのミカエル・ラスムッセンが途中でほら、マイヨ・ジョーヌを着ながらチームをクビになって、去っていったじゃないですか。
あの時エルネスト・コルナゴはものすごく悔しかったはずですよ。
きっと物を投げるぐらい怒っていますよ。初めてコルナゴがツールで勝つ寸前で、あれですから。
吉本 コルナゴってあれだけ勝利を重ねながら、ツールの勝利がないですからね。
CS あー! 確かに。
仲沢 メルクスは勝っていますけど、「エディメルクス」って書いてある自転車ですからね。コルナゴって書いてある自転車では勝ってないですよ。
吉本 これって驚くべき事実ですよね。
仲沢 レース界七不思議って言ってもいいですよね。デュラエースがランスの99年まで勝てなかったこともそう。
CS 73年に投入してから99年まで勝てなかったってことになりますね。
仲沢 最初の頃はプアなコンポだったからしょうがないけど、74系のコンポで勝てなかったのは単なる巡りあわせですよね。
吉本 ジロは88年に初勝利しましたが、ツールはそれから10年後ですからね。
CS コンポの通算勝利数を見ると、シマノはすごそうなのに、カンパニョーロの勝利数が圧倒的に多いですよね。
それこそシマノの勝利って、ランスの勝利数イコールみたいな。
仲沢 ツールに関してはそうですね。まあ歴史の長さがちがいますからね。
CS さて、各社いっせいにフルカーボンバイクの開発に重きを置くわけですが、どういう進化をしたのでしょうか?
吉本 当時はカーボンへ移行するタイミングが、メーカーによりかなりの開きがありましたね。
安井 ピナレロはプリンスSLやドグマを出してなかなかカーボンに行かなかった。
仲沢 キャノンデールもそうですね。
CS アルミで成功したメーカーは対応が遅れたのですね。で、やはりカーボンのブームはトレックが牽引したのですか?
吉本 タイムがVXスペシャルプロ(ボンジュールレプリカ)で与えたインパクトも大きいと思いますけど。
安井 スコット・CR1のような大径チューブ、軽量カーボンも大きなポイントですね。
その頃からフレーム形状が何でもありで、多様になった感があります。タイムのように細身のところは細身でみたいな。
吉本 タイムって何ですかね、この独特の立ち位置は?
安井 プレミアム感ってありますよね。
雑誌の影響じゃないでしょうか? 僕は雑誌を読んでタイムは神様だと思いました。
名車!って書いてあって、そんなにすごいんだと思いました
吉本 仲沢さんはどうですか?
仲沢 僕もタイムは好きですね。もともとTVTを源流としているじゃないですか。
僕はTVTも大好きでしたから。
歴史を知る人からすると、これがカーボンフレームを作ったメーカーなんだよ、みたいなところがあるから。
オリジナルのメーカーはやっぱり偉いじゃないですか。
時代は繰り返す
CS 2000年の後半になるとカーボン一辺倒になりましたね。
で、30年あまり色々な素材により進化した軽量化やエアロというキーワードのローテーションを、この10年でカーボンだけで一気に行なった感じですか?
吉本 そういえば、スペシャのルーベみたいな“闘わないロード”というコンフォートバイクが出てきたのは新機軸ですね。
CS 闘わない!
安井 そうですね。いままでなかったですもんね。そうですよね。そう考えれば……。
吉本 自分はルーベをリストにあげたのですが、こうしたバイクができるようになったのもカーボンによるものと言えるのではないでしょうか。
仲沢 そうですね。闘わないロードっていうのは、ものすごいボリューム層を持っていますよね。
今はレースやらない人のほうが、圧倒的に多いですから。
安井 乗り味はまだ試行錯誤をしているように思います。
ガチガチに硬いのがあり、柔らかいのがあり。例えばBMC・インペックなどは柔らかいわけです。
ガチガチのスペシャライズド・ターマックSL4とインペックが、同じ舞台で同じカテゴリーで闘っているというのが不思議な感じです。
まったく別ものみたいな感じの乗り味なのに。そこは各社方向が全く同じではないですね。
CS カーボンという素材の自由度が高い故に、正義が1つではないということですか。
吉本 カーボンの時代がある程度経過して、メーカーが素材をさらに理解した上で設計できるようになりましたね。
CR1が登場して少し後は、とにかく肉薄・大径チューブ、高級車なら高弾性カーボンがいいみたいなノリで、ちょっと退屈な面もありましたね。
軽量化についてもUCIルールで最低重量を6.8kgに抑えられてしまったので。
仲沢 6.8kgってのは2000年ぐらいに決まったのですが、最初は「そんなの達成できるわけないよ」と思ったのが、いまや当たり前になってきちゃいましたもんね。
吉本 わざわざフレームにウエイト積むぐらいですからね。
それによって、おそらく軽量化っていうのは歩留まりをせざるをえなくなる。
じゃあエアロバイクとしての性能を追求しようみたいになった。
仲沢 それは自然の流れですよね。6.8kgが達成できたらもう、それ以上軽くしてもしょうがないんだから、あとはエアロに行くしかないですよね。
カーボンも、ひとくくりにしちゃえばカーボンですけど、最初はアルミラグでカーボンのチューブをつないでいるだけだったのが、カーボンラグになって、チューブ自身もいろいろな形状になって。
それが、カーボンという素材の特性を生かすように、モノコック化していって。で、今は自由な形を取れるようになり、軽くて硬いのができるようになってきた。
だから初期のカーボンといまのカーボンってまるで別物ですよね。
吉本 昔で考えるとカーボンであんなに硬くできるとは思わなかった。
アランのレコードカーボンに乗って上りでもがくと、後ろ三角がたわんで勝手に変速をしましたから。
仲沢 そういう感じでしたよね。あの、しなりとペダリングがシンクロすると気持ちいいんだよ~みたいな話だったのに。
吉本 CR1に乗ったときは、すごく衝撃的でした。それまではルック・KG318iなどがあって、インテグラルヘッドを搭載した最新型でしたが、やっぱり乗り味はバネ感があってルックらしかった。
でもCR1は、そのバネ感みたいなのがなくて、でも乗り心地は悪くない。これは衝撃的でした。
CS 実現が難しいとされていた相反する2つの要素は、カーボンという素材によってひとつの中にまとめることが可能になった。
乗り心地はいいけど、剛性感があってよく進むという特性はやっぱりカーボンでなければ成し得なかった?
仲沢 ですね。
安井 カーボンという同じ中でも、最近はマドンが新しくなって、いままでのカーボンバイクとは違う新しい走行感がでてきたと思います。
羽のように軽くて、でも進む。むちゃくちゃ快適で、矛盾するはずの性能が一緒になっているイメージがありますね。
吉本 そうですね。CR1が出て来た頃とは、またまったく違ったモノになりましたよね。
安井 まったく違いましたよね。新しい走行感みたいなのは、マドンの6.9とか、ルックの586とかですごく感じますよね。
それと普通に乗れる、エアロロードっていうのがここ1、2年で出てきた。抜けがいい感じがするし、走りも快適性も犠牲にしていない。
仲沢 オリジナリティの時代に、またなってきたわけですね
吉本 こうして見てゆくと、結局ここにあがっている自転車は、みなオリジナリティを持っているのがすごく大きなポイントだと思います。
仲沢 作り手の哲学がすごくはっきり現れている自転車ばかりですね。
こうすれば売れるんじゃないかとか、せせこましい考えで作った自転車じゃないですよ、みんな。
安井 ターマックSL4はガチガチだし。インペックもおもしろいし。
カーボンの使い方が多様化して、このままいってほしいという思いはありますね。
万人受けするのではなく、あえて外したところも作ってみるとか。
個性があふれているカーボンの時代が伸びるといいなと思います。
CS いま思えば、流されなかったっていうことですよね
吉本 今後どんな自転車が登場するか楽しみですが、何十年も後に同じ企画をやっても、名車の理由は不変のものなのでしょうね。
********************************************