ジロ・デ・イタリア2015 総集編
不運をはね返して得た3度目のマリア・ローザ
イタリア北西部のリグーリア海岸で今年のジロ・デ・イタリアが開幕したとき、スペインのアルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ)がマリア・ローザを着てミラノに凱旋することは誰もが想像していた。
しかし、彼にこんなにも多くの災難が降りかかるとは、誰も想像していなかったにちがいない。今年総合優勝できたのは、まるで奇跡のようだった。
コンタドールは標高1386メートルのアベトーネ山にゴールする中級山岳区間の第5ステージで、早くも総合首位に立ってマリア・ローザにソデを通した。
それは初日に行なわれたチームタイムトライアルで、区間優勝したオーストラリアのオリカ・グリーンエッジにたった7秒遅れの区間2位の成績をティンコフ・サクソが出した恩恵でもあった。
その日までマリア・ローザはオリカ・グリーンエッジの選手たちがリレーするように着用していた。しかし、アベトーネ山で彼らは脱落し、前日まで総合4位だったコンタドールが首位へと浮上したのだ。
マリア・ローザは着た選手に力を与えてくれるもののはずだが、今年は違っていた。コンタドールは今年初めてバラ色のジャージを着て走った第6ステージで、ゴールスプリントの落車事故に巻き込まれて左肩を脱臼してしまったのだ。
その日、表彰台に上がったコンタドールはマリア・ローザを着ることすらできなかった。そして彼が左腕を固定して主催者の移動医療車から出てきたとき、誰もが彼のジロはここで終わったと思ったにちがいない。まだジロは残り2週間もあり、終盤には厳しい山岳ステージが待ち受けていたからだ。
しかし、コンタドールは不屈の男だった。彼は今年の最長距離区間だった翌日の第7ステージを遅れることなく完走し、マリア・ローザを守ったのだ。標高1430メートルのカンピテッロ・マテーゼ山頂にゴールする第8ステージでも、彼は総合を争うライバルから遅れることなくゴールした。
その日はコンタドールが予想していたように、新人賞のマリア・ビアンカを着た24歳のファビオ・アルー(アスタナ)が容赦なく攻撃を仕掛けたが、マリア・ローザのコンタドールはすぐに反応し、彼に付いていくことができた。
だが、コンタドールはふたたび不運に見舞われた。ベネツィアに近いイエーゾロにゴールした第13ステージで、彼はふたたび終盤の落車に巻き込まれたのだが、それはゴールまで3.3km地点で起こった。落車で遅れたタイムが免除されるルールは、残り3kmからだった。
コンタドールはこのステージを40秒遅れでゴール。前日まで総合2位のアルーとのタイム差は17秒だったため、彼は左肩の脱臼という逆境をはね返して守り続けてきたマリア・ローザを手放さなければならなくなった。
逆に19秒差でマリア・ローザのアルーを追う立場になったコンタドールを待ち構えていたのは、得意の個人タイムトライアルだった。しかも今年のTTは60km近い長距離だった。彼は区間優勝こそできなかったが、アルーよりも3分近く速いタイムを出し、たった1日で総合首位の座に返り咲いた。
「アルーに対していいタイム差を得たが、注意深くし続けなければならない。ジロはまだ長いよ」と、総合首位奪還に成功したコンタドールは決意を新たにした。
厳しい山岳ステージがつづいた最終週は、アスタナの攻撃に耐えるレースを強いられた。アスタナはアルーだけでなく、スペイン人クライマーのミケル・ランダが今年のジロで頭角をあらわし、コンタドールに攻撃を仕掛けてきたのだ。
そして最終日前日の最後の山岳ステージで、ついにコンタドールは失速。ゴールのセストリエール山の前に越えなければならなかった未舗装路のフィネストレ峠で、アルーたちのグループから脱落してしまった。
「疲れがたまっていたせいだと思う」と、レース後にコンタドールは説明していたが、彼は結局この日、区間優勝したアルーよりも2分25秒遅れでセストリエール山頂にたどり着いたが、第14ステージの個人タイムトライアルで十分なタイム差を付けていたおかげで、マリア・ローザを失うことにはならなかった。
フィネストレ峠で遅れた時に無理をして前を追わず、自分のリズムで走ることを選択したのは正しかった。「マリア・ローザが危険だと思った瞬間は、まったくなかったよ」と、コンタドールは語った。
ミラノのゴールで、コンタドールは両手とも3本の指を立ててゴールした。彼にとっては、ジロを制したのは3度目であるというアピールだったのだろう。2008年に初優勝したあと、2011年にも総合優勝したのだが、それは後にクレンブテロール陽性事件で剥奪されてしまった経緯があった。
結局コンタドールは今年のジロで区間優勝を一度も上げることはなかったが、左肩のケガを抱えてレースを戦っていたことを考えれば、それは仕方のないことだ。彼自身も「区間優勝は目指していたが、総合を守ることの方が重要だった」と、語っていた。
幾多の困難を乗り越えてマリア・ローザを手中に収めたコンタドールの次のターゲットは、1か月後に開幕するツール・ド・フランスだ。彼はすでにダブルツールを目指して準備を始めている。それは1998年のマルコ・パンターニ以来、誰も成し遂げられていない偉業だ。
■ジロで総合優勝したコンタドールのコメント「今年のジロの準備は万全だった。2008年は最後の最後で来ることになり、このレースのことは何も知らず、自分がどんなふうに受け入れられるのかも、上りがどんなものかも知らなかった。2011年は入念な準備をしたが、それはとても強烈にシーズンをスタートした後のことだった。今年はより冷静に、思慮深くレースをすることができた」
「愛情をそそいでくれたイタリアの人々に感謝している。ジロの過酷な3週間には、想像できるすべてのことが起こった。僕はここへ勝つためにやって来て、とても慎重に準備をしてきた。しかし落車して、肩を負傷してしまった」
「すばらしいジロで、僕にとっては特別な経験だった。回復にどれだけかかるのかはわからない。疲れているし、時間がかかることはわかっている」
「僕のツール・ド・フランスは今始まった。すでに準備を始めている。今夜は可能な限り早く休むだろう。明日はスペインに戻ろうと思う。ツールのためにふたたび集中する前に3~4日必要だ」
ジロ・デ・イタリア2015結果
1 アルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ/スペイン)88時間22分25秒
2 ファビオ・アルー(アスタナ/イタリア)+1分53秒
3 ミケル・ランダ(アスタナ/スペイン)+3分05秒
4 アンドレイ・アマドール(モビスター/コスタリカ)+8分10秒
5 ライダー・ヘシェダール(キャノンデール・ガーミン/カナダ)+9分52秒
6 スティーブン・クルイスウエイク(ロトNL・ユンボ/オランダ)+10分53秒
7 レオポルト・ケーニック(チームスカイ/チェコ)+11分21秒
8 ダミアーノ・カルーゾ(BMC/イタリア)+12分08秒
9 アレクサンドル・ジュニエズ(FDJ/フランス)+15分51秒
10 ユーリ・トロフィモフ(カチューシャ/ロシア)+16分14秒
ジロに初出場したNIPPO・ヴィーニファンティーニの石橋学は第9ステージでリタイア
今年のジロ・デ・イタリアには日本人選手が2人出場した。1人はベテランの別府史之(トレックファクトリーレーシング)、そしてもう1人はグランツール初出場を果たした石橋学(NIPPO・ヴィーニファンティーニ)だ。
石橋が所属するNIPPO・ヴィーニファンティーニは、今季イタリア登録のUCIプロフェッショナルコンチネンタルチームに昇格し、主催者招待枠でジロ初出場を果たした。チームのエースはイタリア人のダミアーノ・クネゴだった。
日本のレースファンは毎日石橋の走りに注目していたのだが、彼は第9ステージの途中でリタイアし、初出場したジロを去っていった。
その時、チームの大門宏監督は、日本で開催されていたツアー・オブ・ジャパンに帯同していた。大門監督は石橋のリタイアについて、こう語っていた。
「9日間走れたから良かったのではないか。じゃあ14日間だったら良かったのか、グルッペットでずっと走ってコツを覚えて、それで完走すれば良かったのかと言うと、そういうものではない」
「グランツールに出て、9日走れたのだから、とくに悪いとは思わない。イタリア人でもそんな選手はたくさんいる。それがそれが良かったのか悪かったのか、判断できる人間はいないと思う」
「万事共通で、最後まで走れると良かったというのがあるが、ボクはそうは思わない。完走することが良いことだというのは、あまりにも1人だけのことを考えすぎだ。チームは彼を完走させるためにやっているわけではない」
「彼はただ、9日間走ってやめたということだけ。それがすべてで、それ以上のことはない。本人がこの経験を次に生かせればいいだけのことだ。9日間はレースを走れたわけで、常についていくだけで精一杯だったわけで、練習にはなっていた」
「それを彼は身につけていかなければならない。良かったとか悪かったとか、残念がっている場合ではない。(今年のジロが)良かったのか悪かったのかは、来年か再来年になって、彼自身が知ることだ。何も経験が残らなかったり、経験を生かせない選手だっているのだから」
石橋は来年もジロに挑戦するだろう。そして、その時は今年の苦い経験を生かせる選手に育っていてほしい。