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NIPPO・ヴィーニファンティーニのペロージGMにインタビュー

先日開催された日本最大のステージレース『ツアー・オブ・ジャパン』に、NIPPO・ヴィーニファンティーニのGM(ゼネラルマネージャー)をつとめるフランチェスコ・ペロージ氏が来日した。TOJ終了後、チームのスポンサーであるIRCタイヤのオフィスを訪れたペロージGMにインタビューした

NIPPO・ヴィーニファンティーニを運営する若きGM     

NIPPO・ヴィーニファンティーニの若きGM、フランチェスコ・ペロージ氏
NIPPO・ヴィーニファンティーニの若きGM、フランチェスコ・ペロージ氏
 
昨年UCIプロコンチネンタルチームに昇格したNIPPO・ヴィーニファンティーニは、日本とイタリアがタッグを組んだドリームチームだ。そのGM(ゼネラルマネージャー)をつとめるのは、32歳のフランチェスコ・ペロージ氏。アンダー23のカテゴリーまで走った後、選手を止めて広告代理店業を営んでいたが、ファルネーゼヴィーニ社(ビーニファンティーニ)のヴァレンティーノ・ショッティCEOに抜擢され、昨年からGMとしてチームを運営している。

ペロージGMはジロ・デ・イタリア終了後に来日し、ツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージと東京ステージでチームに帯同した。大会終了後、就任2年目のシーズン前半を終えたベロージGMにインタビューした。

 

「私たちのチームはいつもプロタゴニスタだ」

TOJでポイント賞のブルージャージを獲得したデネグリ。シャンパンファイトはヴィーニファンティーニのシャンパンで!
TOJでポイント賞のブルージャージを獲得したデネグリ。シャンパンファイトはヴィーニファンティーニのシャンパンで!
Q:昨年はジャパンカップ、今年はツアー・オブ・ジャパンに来日し、これで日本の大きな2つのレースをご覧になりましたが、どうでしたか?

ペロージ:日本のチクリズモ(自転車競技)は、とても情熱的だと思いました。ジャパンカップでもツアー・オブ・ジャパンでも、本当にたくさんの観客が来ていました。多分ジャパンカップの方が1日のレースだったので、よりたくさんの観客が来ていたと思います。

ツアー・オブ・ジャパンは東京ステージのスタートの観客がとても多く、チームのグッズに群がる様子を見て、すごく驚きました。ヨーロッパでもこんなに熱心な国はあまりありません。

オランダやベルギーに行けば、特定の選手のファンクラブがあり、ジャージを着てきたり、手作りのお土産を持ってくるファンもいます。でも、イタリアではニーバリのようなスター選手だけです。


Q:チームとして、ツアー・オブ・ジャパンはどうでしたか?

ペロージ:いいツアーでした。ピエールパオロ・デネグリがポイント賞ジャージを取り、すべてのステージで私たちのチームはプロタゴニスタ(中心的な存在)でした。ニコラス・マリーニ(伊豆ステージでリタイア)は不運でしたけど。足りなかったものは何かと言われれば、それは1勝でした。
 
 
12年ぶりでジロの表彰台に帰って来た『リトル・プリンス』ことクネゴ                                  
12年ぶりでジロの表彰台に帰って来た『リトル・プリンス』ことクネゴ                                  
Q:今年のジロ・デ・イタリアはどうでしたか?

ペロージ:間違いなく、とてもポジティブでした。今年の初めに期待していたよりもよかったです。4人の選手が逃げて、3週間ずっと主役でありつづけました。ジャコモ・ベルラートはとくに良い逃げをたくさんしました。アレッサンドロ・ビゾルティも上りのステージでいい逃げをしました。

ダミアーノ・クネゴは最初の山岳ポイントから最終週の始まりまで活躍し、山岳賞のマリア・アッズーラを13日間着用しました。最後はマリア・アッズーラを失いましたが、取られた相手はUCIワールドチームのスカイで、とても強いチームでした。

それでもとてもポジティブでした。イタリアと日本のチームとして、今年は山本元喜が参加しましたが、彼が完走したことも良かったと思います。

それから、ベルラートはリタイアするまでフーガ(逃げ)賞でずっと1位でしたし、チームは昨年受賞したフェアプレー賞を今年も受賞しました。今年はロトNL・ユンボ、チームスカイ、ランプレ・メリダ、NIPPO・ヴィーニファンティーニが0ポイントでトップでした。

今年のジロでは素晴らしいエピソードもありました。クネゴがマリア・アッズーラを獲得して最初に表彰台に上がったのは5月10日だったんですが、彼が2004年にポントレモーリで区間優勝し、生まれて初めてジロの表彰台に上がったのも5月10日だったんです。

彼は2004年にジロで総合優勝して以来、ジロでは一度も表彰台に上がっていませんでした。ツール・ド・フランスやブエルタ・ア・エスパーニャでは表彰台に上がってますが、ジロではありませんでした。12年ぶりだったんです。いい話でしょ?



※フーガ賞…ジロ・デ・イタリアの賞の1つ。10人以下の逃げで、5km以上逃げた距離を積算して、もっと距離が長い選手が受賞する。ベルラートは最初にこの賞があった第2ステージで首位になり、第14ステージでリタイアするまでその座を守り続けた。

※フェアプレー賞…ジロ・デ・イタリアの賞の1つ。大会期間中にチームが受けたペナルティによってポイントが加算されていくもので、ポイントが持っと少ないチームが受賞する。
 
 

「元喜はジロでキャパシティのあるところを見せた」

独占インタビューはチームのスポンサーであるIRCタイヤのオフィスで行った        
独占インタビューはチームのスポンサーであるIRCタイヤのオフィスで行った        
Q:GMとして2年目のシーズン前半が終わりました。ここまでのチームはどうでしたか?

ペロージ:個人的には、いつでももっとたくさんを望んでいます。きっと他の選手たちにも可能性があると思っています。デネグリがツアー・オブ・ジャパンで勝てなかったのは残念でした。第4ステージではミスをして区間3位でした(強風のため、ゴール地点の横断幕が外されていたのが原因)。

シーズン前半、私たちはとても良いスタートを切りました。ドノラーティコ(GP・コスタ・デリ・エトゥルスキ)、トロフェオ・ライグエリャ、GPルガーノでチームはとても強く、本当に主役でした。

しかし、その後不運な落車でケガが続きました。クネゴはストラーデ・ビアンケで手を負傷し、ジリオーリは鎖骨骨折、ボレも骨折しました。それでジロとツアー・オブ・ジャパンでは活躍できないかもと心配していましたが、そうはならずにホっとしました。


Q:昨年GMに就任した時、「クネゴ復活」と「タレント性のある選手の発掘」を目標に上げていました。最初の目標は達成されましたが、2つ目についてはどうですか?

ペロージ:クネゴを復活させる目標は、まだ続いてします。タレント性のある選手については、長い時間がかかるものです。マリーニは昨年、すぐにそれをデモンストレーションして4勝しました。でも、今年はとても不運なスタートでした。ベルラートもとてもタレント性がありも、すでにそれを確定しています。

イウリ・フィローズィについては、まだたくさん働いているところです。アントニオ・ニーバリは、とにかく成長してます。すべてのタレント性のある選手たちが、より良くなっています。時間はかかりますが、見守っていきたいです。

日本人の選手については、今年メンバーが変わり、小石祐馬と窪木一茂が来ました。小石はタレント性があります。窪木はまだあまり一緒にはいませんが、ツアー・オブ・ジャパンの東京ステージでは良かったです。石橋学についてはまだ働いているところで、去年はジロに出しましたが、今年はカレンダーを変えました。

ジェンキ(山本元喜)は、ジロでとてもキャパシティのあるところをデモンストレーションしました。彼のガイド役のような役割だったグレガ・ボーレが、3週目の上りでは自分よりジェンキの方がより良かったと言ってました。日本人選手たちについては、このまま働き続ける必要があります。

 
 

「クネゴは私にとって選手としてのお手本」

ペロージGMは同世代のクネゴ復活に尽力している                    
ペロージGMは同世代のクネゴ復活に尽力している                    
Q:ペロージGMもアンダー23まで選手として走っていたそうですね?

ペロージ:選手として12年間活動し、アンダー23の最後の年、22歳で止めました。生まれたのはラ・スペツィア(リグーリア州)ですが、トスカーナで走ってました。イタリアのアンダー23の強豪チームで走り、チームには当時アンダー23のイタリアチャンピオンとヨーロッパチャンピオンになったジョバンニ・ビスコンティがいました。彼とは最後の2年間、一緒に走りました。ジュニアの頃には、ダニエーレ・コッリと一緒に走っていました。彼はジュニアのイタリアチャンピオンでした。


Q:クネゴがジロで総合優勝した2004年当時はまだ選手だったんですね?

そうです。クネゴがジロで初めて区間優勝したポントレモーリは、私の家の近くでした。当時、若くして勝ったクネゴは私にとって選手としてのお手本でした。子どもたちはみんな、クネゴみたいになりたいと思っていました。


Q:子供の頃のあこがれの選手は誰ですか?

マルコ・パンターニです。彼がツールで優勝したとき、私は15歳でした。


Q:クネゴも同じでしたね?

当時はパンターニ、マリオ・チポリーニという2人の異なったタイプの選手がスターでした。私たちは偉大な選手たちの伝説とともに育ったんです。もっと小さい頃、9歳、10歳の頃は、ジャンニ・ブーニョとクラウディオ・キャプーチでした。


Q:元選手として修善寺のコースを見てどう思いましたか?

とてもキツイ、テクニカルなコースですね。食事をする場所もない。あのサーキットは強い選手以外はふるい落とされてしまう。雨になったら、また違ったレースになっていたでしょう。そこで新城が勝ったを見たのは、とてもうれしかったです。その国のチャンピオン、主役が地元で勝つのを見るのは良いものです。
 
 

「後半の大きなターゲットはアジアのレース」

Q:シーズン後半の展望は?

ペロージ:前半はとても長く、ヨーロッパのレースが多かったので、今シーズンの後半の大きなターゲットはアジアのレースになります。アジアでたくさん走ります。特に9月、10月にはたくさんのレースを走らなければならないので、よりよい準備をするために8月にはチーム全員がリビンニョ(北部ロンバルディア州)に行き、高地トレーニングを行います。

それからもう一つ、イタリアの若い選手にとって、米国レースで走る経験を持つことはとても重要なので、8月にはツアー・オブ・ユタに行く予定です。ファルネーゼヴィーニ社のヴァレンティーノ・ショッティCEOは、選手は国際的なレースで走る必要があるといつも考えています。米国のレースで走ることは彼の目標でもあり、今年はそれでオーストラリアのレースにも行きました。


Q:最後に、地元ラ・スペツィアのオススメ料理を教えてくれますか?


ペロージ:ラ・スペツィアの名物料理はメスチュアです。ヒヨコ豆が入ったスープで、とてもシンプルです。元々は漁師の伝統料理で、アンチョビのオイル漬けや塩漬けをのせて、レモンオイルをかけて食べます。

うちから20kmしか離れていないポントレモーリは、クネゴがジロで初めて区間優勝した町で、マッシモ・ポデンツァーナの故郷でもありますが、そこの名物料理はテスタローリ(生パスタ)ですよ。

(http://teamnippo.jp)