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引退間近のダミアーノ・クネゴに独占インタビュー
2018.06.07
TOJで来日し、日本のファンに最後の走りを見せたクネゴ
2002年に22歳の若さで母国最大のステージレースであるジロ・デ・イタリアを制したダミアーノ・クネゴ(NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニ)も36歳になり、引退の時を迎えた。彼は今年5月に開催されたジロを引退レースにしたいと望んでいたが、主催者のRCSスポルトはその願いを叶えてはくれず、チームは招待を受けられなかった。
ジロを走れなくなったクネゴは引退までのプログラムを変更。チームが主催者から招待を受けられたツール・ド・スイス(6月9日〜17日)が現役最後のUCIワールドツアーになり、引退レースは6月30日に北イタリアのダルフォ・ボアーリオ・テルメで開催されるイタリア選手権ロードレースになった。
現役引退が間近になったクネゴは、5月に開催されたツアー・オブ・ジャパン(アジアツアー2.1)に参加し、日本のレースファンに最後の走りを見せてくれた。彼自身は37分05秒遅れの総合39位でレースを終えたが、チームメートの中根英登は2分47秒遅れの総合9位になり、日本人として最高位の成績を収めた。
大会終了後の月曜日に、サイクルスポーツ.jpは現役引退を間近に控えたクネゴに独占インタビューし、初めて走ったツアー・オブ・ジャパンの感想や、引退後の事などを聞いた。
「日本のファンのために、TOJに参加したいと思いました」
クネゴ:当初、ボクはジロ・デ・イタリアを走ることを考えていました。でも、ジロがなくなったので、他のプランを見つけなければならなくなりました。ちょうどボクのチームはツアー・オブ・ジャパンを走ることになっていたので、ボクは皆のため、そして日本のファンのために、参加したいと思ったんです。
ボクの最後のレースはイタリア選手権になりますから、日本に来ることはファンのために正しい選択でした。ボクはすごくそう思っています。より良い選択をしたと思っています。
Q: 初参加したツアー・オブ・ジャパンはどうでしたか?
クネゴ:個人的には良くありませんでした。と言うのは、ここに来る前に健康上の問題があったからです。風邪を引いて熱があり、鼻の病気もありました。そういう理由で、ボクには競争する力がなかったんです。
でも、チームを助けることができました。中根は総合成績で良い順位になれたし、マルコ・カノラは2回、あと一歩で勝てました。彼はいつも優勝に近かった。NIPPO・ヴィーニファンティーニにとっては良いツアー・オブ・ジャパンでした。それからファンの応援も素晴らしかったです。彼らのサポートには感謝しなければなりません。
Q: ツアー・オブ・ジャパンのコースはどうでしたか?
クネゴ:骨の折れるコースでした。難しさで言えば、本当にジロ・デ・イタリアの区間と同じで、とても困難だと思いました。最終日の前日、伊豆ステージは(獲得標高が)3800mで、ものすごく大変でした。ほとんどアルプスみたいでしたよ。上りは長くありませんが、アップダウンが続いてレースをとてもキツくしています。
富士山は初めて上りましたが、勾配がモルティローロみたいでした。良いレースでボクは好きです。富士山に上った日は天気が良く、ゴールで頂上が見えました。そこで写真も撮りました。雪が残っていて綺麗でした。
Q: 何故、シーズンの最後まで走らず、6月のイタリア選手権で引退するんですか?
クネゴ:すごく疲れてしまったからです。最初の計画では、ジロ・デ・イタリアで終わりにするはずでした。でも、ジロがダメだったので、イタリア選手権で終わりにしようということになりました。今は自分の未来について考える時が来ました。新しい仕事や、新しいコラボレーションのことを考える時です。こうするのが正しいと思っています。
それにボクはもう、NIPPO・ヴィーニファンティーニでイメージキャラクターになるような仕事を得るために働いています。TVに出たり、スポンサーとコンタクトを取り続けて、一緒にトレーニングキャンプを計画します。TVに出るのは特に重要です。
それからスイスのルガーノで、競技以外の他の仕事もあります。トレーニングキャンプやサイクリング・ツアーを計画する仕事をしているんです。ルガーノにあるリゾート・ホテルも重要です。そこでのボクの仕事は、自転車で走ることだけですけどね。個人的には今が重要な時期で、だから早く新しい事を始めたいんです。
Q:何故、その仕事はイタリアの故郷ヴェローナではなく、スイスのルガーノでするんですか?
クネゴ:残念ながら、ヴェローナはそういうことに関して、まだメンタル面での準備ができていないんです。ルガーノは自転車競技が盛んな街というだけでなく、重要な人たちがたくさん住んでいます。それは、新しいスポンサーになってくれるような可能性がある人たちです。
クネゴ:骨の折れるコースでした。難しさで言えば、本当にジロ・デ・イタリアの区間と同じで、とても困難だと思いました。最終日の前日、伊豆ステージは(獲得標高が)3800mで、ものすごく大変でした。ほとんどアルプスみたいでしたよ。上りは長くありませんが、アップダウンが続いてレースをとてもキツくしています。
富士山は初めて上りましたが、勾配がモルティローロみたいでした。良いレースでボクは好きです。富士山に上った日は天気が良く、ゴールで頂上が見えました。そこで写真も撮りました。雪が残っていて綺麗でした。
Q: 何故、シーズンの最後まで走らず、6月のイタリア選手権で引退するんですか?
クネゴ:すごく疲れてしまったからです。最初の計画では、ジロ・デ・イタリアで終わりにするはずでした。でも、ジロがダメだったので、イタリア選手権で終わりにしようということになりました。今は自分の未来について考える時が来ました。新しい仕事や、新しいコラボレーションのことを考える時です。こうするのが正しいと思っています。
それにボクはもう、NIPPO・ヴィーニファンティーニでイメージキャラクターになるような仕事を得るために働いています。TVに出たり、スポンサーとコンタクトを取り続けて、一緒にトレーニングキャンプを計画します。TVに出るのは特に重要です。
それからスイスのルガーノで、競技以外の他の仕事もあります。トレーニングキャンプやサイクリング・ツアーを計画する仕事をしているんです。ルガーノにあるリゾート・ホテルも重要です。そこでのボクの仕事は、自転車で走ることだけですけどね。個人的には今が重要な時期で、だから早く新しい事を始めたいんです。
Q:何故、その仕事はイタリアの故郷ヴェローナではなく、スイスのルガーノでするんですか?
クネゴ:残念ながら、ヴェローナはそういうことに関して、まだメンタル面での準備ができていないんです。ルガーノは自転車競技が盛んな街というだけでなく、重要な人たちがたくさん住んでいます。それは、新しいスポンサーになってくれるような可能性がある人たちです。
「2020年の東京オリンピックのために働きたいです」
クネゴ:ボクたちはこれからもチームが成長し、より良くなっていくために、共に歩んで行きます。個人的に、ボクはチームの日本サイドとの、とても良い窓口になっていると感じています。彼らとは2020年の東京オリンピックのためにも働き続けたいです。
今、ボクの立場はほぼトレーナーで、選手を辞めても東京オリンピックのために彼らと一緒に働きたいし、東京オリンピックが終わった後もです。ここ日本でたくさんのイベントを企画して、日本のスポンサーやファンとの交流を深めて行きたいです。
Q: チームメートの日本人選手たちについてはどう思いますか?
クネゴ:彼らは成長しています。中根はとても強く、初山も強いです。他の若い選手たちは、成長しなければなりません。彼らに必要なのは、もっとヨーロッパに行って、ヨーロッパの自転車競技を学ぶことです。それには時間がかかります。
でも、中根はすでに確かな手応えがあり、とても良い選手です。彼は東京オリンピックに向けて、日本のために多くのUCIポイントを取っていますしね。
Q: 今、イタリアにはUCIワールドチームがなく、昨日終わったジロ・デ・イタリアでも、イタリア人は総合で誰も表彰台に上がれませんでした。それについてどう思いますか?
クネゴ:今、ボクたちがUCIワールドチームを持っていないのは事実です。イタリアはちょっと低迷しています。でも、ボクたちにはヴィンチェンツォ・ニバリのようなとても強いアスリートがたくさんいます。
確かにジロの表彰台にイタリア人は誰もいませんでした。でも、今年はたまたまそうだっただけで、また別の年にはきっと勝てます。そして勝ち続けるんです。今はツール・ド・フランスで勝てることを願っています。
Q: イタリアの若手で注目すべき選手は誰ですか?
クネゴ:ジロで活躍したバルディアーニのジュリオ・チッコーネと、アンドロニジョカットリのファウスト・マスナダ。彼らは期待できます。
「若い選手たちに、自分の経験を伝えていきたいです」
クネゴ:自分の経験を伝えていきたいです。トレーニングと食事のアドバイス、そしてレース中にはどのような行動を取るべきかのヒントを与えます。この3つ、食事、トレーニング、キャラクターは、最初に必要な要素なんです。
Q: 愚問だと思いますが、プロ競技人生で最高の瞬間はいつでしたか?
クネゴ:勿論、マリア・ローザを取った2004年のジロ・デ・イタリアです。それとロンバルディアで3回勝ったことです。
Q: 次に日本に来るのはいつですか?
クネゴ:多分嬬恋(嬬恋キャベツヒルクライム)か、ジャパンカップです。ジャパンカップに行くのは確実です。それは選手としてではなく、スペシャルゲストとしてですよ(笑)。
Q: 最後に、日本のファンへのメッセージをお願いします。
クネゴ:2002年から今日までずっと、ボクの応援を続けてくれた皆さんには感謝しなければなりません。これからもまだ、たくさんの良い提案をしていくので、ボクを追いかけ続けて欲しいです。もう自転車選手ではなくなりますが、今からは親善大使のような存在になりたいと思います。ファンの皆さんといつも一緒にいます。このコラボレーションを続けることは喜びです。
ダミアーノ・クネゴ
1999年に地元ヴェローナで開催されたロード世界選手権ジュニアカテゴリーで優勝。2002年にイタリアのサエコでプロデビュー。2004年にジロ・デ・イタリアで総合優勝した時、彼はまだ22歳だった。2006年にはツール・ド・フランスに初出場し、総合11位で新人賞を獲得した。
ジロ・デ・ロンバルディアは、2004年、2007年、2008年に優勝。2008年はオランダのアムステル・ゴールド・レースでも優勝し、イタリアのヴァレーゼで開催されたロード世界選手権で2位になった。ジャパンカップにはネオプロだった2002年から11回参加。2005年と2008年に優勝している。
(NIPPO・ヴィーニファンティーニ公式サイト)
★クネゴ・トークショー@秀光ONE青山ショールーム