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小林海(マリノ)の体当たりスペインロードレース参戦記 第9回目
レース
2015.08.18
お久しぶりです!
今やっと一息ついたので、まず、日本へ帰国前から全日本選手権までの流れを書いていこうと思う。スペインに戻ってからの濃い7月については、次回に”濃く”残しておくのでお楽しみに!
自分の役割
5月29、30日のVuelta Navarraから6月6、7日に出場したポルトガルのUCI2.2クラスのGrande Premio ABIMOTA 、6月8日のTrofeo SAN ANTONIO、その後6月13日VOLTA AO RIBEIRO、6月14日Memorial SANTISTEBANまでの17日間はレース漬けで、本当にあっと言う間に時間が過ぎていった。
レースでは3週連続逃げに乗ることができ、特にUCI2.2、ABIMOTA第2ステージ、プロ選手と4人での100km逃げは大きな自信となった。自分がチームの中で担っている役割についても、とてもよく理解できるきっかけになった。
写真はプロツアーチームで活躍し、今はポルトガルのコンチネンタルチームで走るダヴィ・デラフエンテとの記念写真。テレビで見て、ジャパンカップでボトルをくれた選手とほんの数年後に同じレースを走れるとは思ってもいなかった。
レースでは3週連続逃げに乗ることができ、特にUCI2.2、ABIMOTA第2ステージ、プロ選手と4人での100km逃げは大きな自信となった。自分がチームの中で担っている役割についても、とてもよく理解できるきっかけになった。
写真はプロツアーチームで活躍し、今はポルトガルのコンチネンタルチームで走るダヴィ・デラフエンテとの記念写真。テレビで見て、ジャパンカップでボトルをくれた選手とほんの数年後に同じレースを走れるとは思ってもいなかった。
トライ以外に勝つ方法はない
「うちのチームは1位以外はいらない。このチームには勝てる選手がいる。10位になれるかなれないかのヤツが、自分の結果を出すために走るのは何の意味もないと思っている。そしてそんな選手はうちにはいらない。とにかく勝てる選手をみんなでサポートする。その結果勝てなかったら仕方ないが、次も同じやり方でトライしていく。それしか勝つ方法はない。それが自転車競技だからだ。」とレース前にはいつも監督がメンバー全員に話す。
そうした役割の中で今の自分に合っているのは逃げることだと僕は思っている。
逃げるよろこび
ポルトガルのUCI2.2のABIMOTAは、僕がどうこうできるレベルのレースではないので、二日間ともチームに尽くすのが僕の役割だった。1日目は逃げに乗り損ね、炎天下で体調を崩してしまったため、翌日のことを考えて無理せず早めにグルペットに入った。
2日目は、何が何でも逃げに乗ろうと思っていた。開始15kmほどで抜け出した3人がいて、この逃げは絶対に決まると思い単独でブリッジした。そこから数kmは集団の中にも逃げを追う選手たちがいて、20秒差が続いていたので4人で全力で回したら後ろも追うのをやめ、一気に8分差まで開いた。
そのまま、レース後半に2つある峠の1つ目まで100kmほど逃げた。初めて本当の逃げらしい逃げに乗った。プロのレースなので、中継のカメラや沿道の観客の応援が多く、何だか自分がテレビで観ているレースの中に突然入り込んだような気がした。
逃げるのはきつかったが、本当に心の底から楽しかった。今の自分に必要なのはこれだな、と感じた。チームのためにもなるし、途中のポイントなどを取れば自分も表彰台に上がれるし、色んなチャンスが巡ってくることもあるからだ。
2日目は、何が何でも逃げに乗ろうと思っていた。開始15kmほどで抜け出した3人がいて、この逃げは絶対に決まると思い単独でブリッジした。そこから数kmは集団の中にも逃げを追う選手たちがいて、20秒差が続いていたので4人で全力で回したら後ろも追うのをやめ、一気に8分差まで開いた。
そのまま、レース後半に2つある峠の1つ目まで100kmほど逃げた。初めて本当の逃げらしい逃げに乗った。プロのレースなので、中継のカメラや沿道の観客の応援が多く、何だか自分がテレビで観ているレースの中に突然入り込んだような気がした。
逃げるのはきつかったが、本当に心の底から楽しかった。今の自分に必要なのはこれだな、と感じた。チームのためにもなるし、途中のポイントなどを取れば自分も表彰台に上がれるし、色んなチャンスが巡ってくることもあるからだ。
U23全日本TTで3位表彰台!
ロードは一転……
タイムトライアルの翌週、6月27日に開催されたU23全日本選手権個人ロードレースでも、持てるものをすべて出し切って優勝をするのを目標に走った。しかし前週の好成績により予想外のマークを受け、なかなか思うようにレースができない。そして久しぶりに日本のロードレースを走ったので、これまた消極的なレース運びに戸惑ったのも事実。
走り方にいい悪いは無いと思っているが、どこの国もレースの仕方は全然違うので、脚があっても走り方がわからないとフラストレーションが溜まりうまくいかない。そして、これに関しては日本で走ってる脚のある選手の方が僕より全然走り方をわかっていた。海外などで走っている脚のある強い選手達は上手く使われて、日本のレースに慣れている選手達に負けてしまった。
結果は11位。まだまだ脚はあったが、コースの難易度が低かったので差が付きにくく、今でもどういう動きが正解だったのかがわからない。今年の失敗を来年はしないように、そしてマークされていようが勝てる脚もあるはずなので、来年こそは優勝します!
全日本が終わって、誕生日の7月1日だけは少しはっちゃけて、翌日にスペインに発ちました。その3日後にスペインでの後半戦初レースを走って6位に入ることができました。確実に手応えを得ています。そのレースについてはその後のステージレース3連戦と一緒に、次回書こうと思います。
走り方にいい悪いは無いと思っているが、どこの国もレースの仕方は全然違うので、脚があっても走り方がわからないとフラストレーションが溜まりうまくいかない。そして、これに関しては日本で走ってる脚のある選手の方が僕より全然走り方をわかっていた。海外などで走っている脚のある強い選手達は上手く使われて、日本のレースに慣れている選手達に負けてしまった。
結果は11位。まだまだ脚はあったが、コースの難易度が低かったので差が付きにくく、今でもどういう動きが正解だったのかがわからない。今年の失敗を来年はしないように、そしてマークされていようが勝てる脚もあるはずなので、来年こそは優勝します!
全日本が終わって、誕生日の7月1日だけは少しはっちゃけて、翌日にスペインに発ちました。その3日後にスペインでの後半戦初レースを走って6位に入ることができました。確実に手応えを得ています。そのレースについてはその後のステージレース3連戦と一緒に、次回書こうと思います。