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クネゴ・トークショー@秀光ONE青山ショールーム
レース
2018.05.31
引退間近のクネゴが東京・青山でトークショー
第21回ツアー・オブ・ジャパンが東京で閉幕した翌日、南青山(東京都港区)にある秀光ONE青山ショールームに、NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニのダミアーノ・クネゴがやって来た。ツアー・オブ・ジャパンでチームのスポンサーを務めた株式会社秀光が、ファンのために今シーズンで引退するクネゴをゲストに迎え『Serata di Damiano Cunego(ダミアーノ・クネゴの夕べ)』と銘打った無料イベントを企画してくれたのだ。
現在36歳のクネゴは、6月にツール・ド・スイス(UCIワールドツアー)とイタリア選手権を走って現役を引退することが決まっている。ツアー・オブ・ジャパンは、彼にとってプロ選手として日本のファンの前で走る最後のレースだった。1週間の闘いを終え、帰国を翌日に控えた5月28日(月)に行われた今回のイベントでは、引退が間近に迫ったクネゴのトークショーとアフターパーティーが催された。
秀光ONE青山ショールームの、ガラスパーテーションに囲まれたスペースで行われたトークショーで、クネゴは17シーズンにわたるプロ競技人生を振り返り、1999年に地元ヴェローナで開催されたロード世界選手権ジュニアカテゴリーで優勝した時の思い出や、2004年に22歳の若さでジロ・デ・イタリアを優勝した時の秘話などを話してくれた。
ジロ優勝といえば、当時チームのエースだったジルベルト・シモーニとの確執が話題になっていたものだが、クネゴは「彼とは良い友達で、ベビーカーのお下がりをもらったこともある。こないだのツアー・オブ・アルプスで会った時もお喋りしたよ」と、もう仲直りしていることを強調し、会場の笑いを誘う場面もあった。
トークショーの後には、ショールームがパーティー会場に早変わり。参加したラッキーなファンは、美味しいワインやプロシュット(生ハム)に舌鼓を打ち、クネゴと現役最後のひとときを共に過ごすことができた。
パーティーの最後には、ジョルジョ・スタラーチェ駐日イタリア大使が、多忙にもかかわらず時間を作り、クネゴに会うために駆けつけるサプライズもあった。イタリア人にとって、クネゴという自転車選手がどれだけ偉大なカンピオーネ(チャンピオン)なのかがわかる出来事だった。
パーティーの最後には、ジョルジョ・スタラーチェ駐日イタリア大使が、多忙にもかかわらず時間を作り、クネゴに会うために駆けつけるサプライズもあった。イタリア人にとって、クネゴという自転車選手がどれだけ偉大なカンピオーネ(チャンピオン)なのかがわかる出来事だった。
秀光とクネゴの絆
秀光の主要マーケットは銀行で、みずほ銀行のカウンターとATMのウォールの8割は、ランプレ社から輸入したカラー鉄板が使用されている。羽田空港のチェックインカウンターもそうだというから驚いた。
そう言えば、以前ランプレチームが東京観光をしていた時、街のあちらこちらでスチール壁を叩いては「ランプレのかな?」と言っていたのは、ジョークではなかったようだ。
ランプレ社と契約した当時、秀光の佐久間悠太取締役は自転車競技について詳しくはなかったが、今中大介氏と親交があり、ジャパンカップで来日するランプレチームのスポンサーを務めるようになった。そしてチームのエースとして来日したクネゴと、イタリア語が堪能な佐久間取締役の交流が始まったのだ。
「クネゴはジロのチャンピオンだから大変なのかと思ったら、すごくフレンドリーで真面目で、日本のファンを大事にする青年でした。日本のプロスポーツにはないスポンサーに対する敬意があるとも思いました。イタリアの選手はスポンサーやファンに対してすごく温かい、それが自転車競技の1つの魅力だと思い、ランプレが来た時は必ずスポンサーをするようになりました」と、佐久間取締役は当時を振り返っていた。
ランプレ社は2016年のシーズンを最後に自転車チームのスポンサーを辞めてしまったが、秀光は引き続きNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニをサポートしている。秀光はイタリア人がデザインした家具を日本で作っていて、イタリアと日本を融合して良いものを作ろうとしている所が、チームのコンセプトと共通している、というのも理由の1つだが、何よりもクネゴの存在が大きい。
「クネゴがいたからこそ、その縁でスポンサーを続けています。引退した後も、皆さんと彼をつなげていくような存在でありたいと思っています」と、佐久間取締役は約束してくれた。