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アソス創業者に敬意を表したスペシャルジャージ『FORTONI JERSEY』発売記念スペシャルインタビュー

イノー、ズートメルク、インドゥライン、フロイラー。昨年11月、自転車競技界のレジェンドたちがパリに集まった理由は1つ。

スイスのサイクリングウエアブランド『アソス』の創業者であるトニ・マイヤーの偉業を称えたスペシャルジャージ『FORTONI JERSEY』の発売記念イベントに出席するためだった。

 
photo : ASSOS

アソス創業者トニ・マイヤーを囲んだ自転車競技界のレジェンドたち

アソスの創業者トニ・マイヤー(右)と談笑するイノー(左)とズートメルク(中央)
アソスの創業者トニ・マイヤー(右)と談笑するイノー(左)とズートメルク(中央)
 
昨年11月、フランスの首都パリに自転車競技界を代表する各国のレジェンドたちが集結した。ベルナール・イノー(フランス)、ヨープ・ズートメルク(オランダ)、ミゲル・インドゥライン(スペイン)、ウルス・フロイラー(スイス)、そして現役代表としてBMCレーシングチームのグレッグ・バンアーベルマート(ベルギー)とニコラ・ロッシュ(アイルランド)。

ホテルのラウンジで談笑するチャンピオンたちが勝ち取ったタイトルの数を合計すると、そこにどれだけすごいメンバーが揃っているかがわかる。グランツールが19勝で、そのうちツール・ド・フランスが11勝。世界選手権は13勝、ナショナル選手権は19勝、モニュメント・クラシックは6勝、オリンピックの金は3つだ。

彼らがそこに集まった理由はただひとつ。スイスのサイクリングウエアブランド『アソス』の創業者トニ・マイヤーが、40年以上にわたって築き上げた、自転車競技の歴史に残る偉業を称えるためだった。
 
 
1976年にアソスを創業したスイス人のトニ・マイヤー。御年78歳 
1976年にアソスを創業したスイス人のトニ・マイヤー。御年78歳 
マイヤーがアソスを立ち上げたのは1976年。ロードレースの世界は、“人食い鬼”と呼ばれたベルギーのエディ・メルクスが30歳を過ぎて衰えの見え始めた時期で、フランスでは前の年にイノーがプロデビューを果たしていた。当時の写真を見ればわかる通り、選手たちがまだウール製のサイクリングウエアを着て走っていた時代だ。

しかし、マイヤーが最初に開発したのはサイクリングウエアではなく、世界初のトラック競技用のフルカーボンフレームだった。その素材は米国のNASAから入手したもので、彼はロシア(当時はソビエト連邦)にそれを渡さないという厳しい義務を負っていた。

フレーム開発の過程で空気力学の研究を進めるうちに、マイヤーは選手のライディングポジションとウエアの研究にも没頭していった。そして1976年に誕生したのが、世界初のライクラ製サイクリングショーツだった。ライクラは1958年に米国のデュポン社が開発した伸縮性に優れた生地で、今ではサイクリングウエアのスタンダードな素材になっている。

自転車競技業界の『世界初』をたどると、その多くはマイヤーに端を発する。彼は1980年に初めて昇華プリントを導入した人物でもあり、70年代と80年代には、サイクリングアパレル業界の先駆者だった。彼の人生は、疑いもなく自転車競技の歴史の一部だ。
 

創業者に敬意を表したスペシャルジャージ

FORTONI JERSEY にサインをするマイヤー(中央)                               
FORTONI JERSEY にサインをするマイヤー(中央)                               
もうすぐ80歳になるトニ・マイヤーの偉業を称えるために、アソスは『FORTONI JERSEY(トニに捧げるジャージ)』をプロデュースした。現代のサイクリングウエアの原型を作り出したマイヤーに敬意を表したこのジャージは、クラシカルなデザインと最新のアソステクノロジーが融合したスペシャルジャージだ。

1976年創業を表す『76』の数字は、オリンピックでの活躍に敬意を表した月桂冠で囲まれ、創業当時に採用されていたロゴとともにこのスペシャルジャージを飾っている。襟の裏側にはさりげなく『FOR TONI』のメッセージが入っている。カラーはダークブルー、アズーロ、グリーンで、いずれもシンプルで美しい。

もちろん、素晴らしいのはデザインだけではない。このジャージは通気性と耐久性に優れたオープン構造のダブルヴォーベンと、ラグランカット(切りっぱなし)のスリーブに使用されているプッシュプル・ファブリックで非常に軽く、着心地の良いものに仕上がっている。

 
 
左からイノー、アソスの創業者マイヤー、フロイラー 
左からイノー、アソスの創業者マイヤー、フロイラー 
この『FORTONI JERSEY』のプロモーションイベントで、パリに呼び寄せられた自転車競技界のレジェンドは、アソスと非常に縁の深い選手たちばかりだった。彼らはマイヤーを囲み、アソスが誕生した1976年から現在までの間に、自転車競技にはどんなことが起こったのか、そしてその中で、ブランドとしてのアソスがどんな位置付けだったのかを語り尽くした。

集まった選手の中で最年長のズートメルクは、40年以上前の擦り切れたアソス製のサイクリングショーツを持参した。インドゥラインは1991年に使用したエアロヘルメットを持ってきていた。小道具も揃い、マイヤーは選手たちと懐かしい昔話に花を咲かせた。

レジェンドたちがアソスとの出会いを語り、マイヤーが当時を振り返って合いの手を入れ、時には誰かがジョークをはさんで笑いが起こった。話題はアソスや当時のサイクリングウエアに留まらず、自転車競技そのものの変遷、国際化、チャンピオンに必要なものと、多岐にわたった。それはマイヤーがアソスブランドとともに歩んできた40年以上の歴史があってこその、濃密な語らいだった。
 
 
インドゥライン(左)はエアロヘルメットを持参した 
インドゥライン(左)はエアロヘルメットを持参した 
終始笑顔だったアソス創業者のトニ・マイヤー
終始笑顔だったアソス創業者のトニ・マイヤー

ヨープ・ズートメルク(オランダ)

40年以上前のアソス製サイクリングショーツをまだ持っていたズートメルク 
40年以上前のアソス製サイクリングショーツをまだ持っていたズートメルク 
1946年生まれ、70歳(イベント当時)。1970年から1987年までプロ選手だった。現在はフランス在住で、息子がアソス・フランスのマネージャーとして働いている。1979年にブエルタ・ア・エスパーニャで優勝、1980年にツール・ド・フランスで優勝。

1985年に38歳で世界選手権を制し、最年長優勝者になった。彼はツール・ド・フランスに16回出場し、すべて完走している。エディ・メルクスやベルナール・イノーと同じ時代に走っていたため、ツールでの総合優勝は1回だが、総合2位に6回なっている。そのうち半分はイノーが優勝した年だった。

[主な戦歴]
ブエルタ・ア・エスパーニャ  総合優勝(1979)
ツール・ド・フランス  総合優勝(1980)
世界選手権ロードレース 優勝(1985)



●ズートメルクが語ったアソスとの出会い
「アソスに出会ったのは、同じチームにいたダニエル・ギジガー(スイス)のおかげでした。私は臀部が痩せていていつも問題を抱えていたので、彼がアソスのショーツを試すように薦めてくれたんです。

それは素晴らしい素材でした。ギジガーはスキンスーツも持ってきてくれました。私たちはそれに当時のチーム名、ミコ・メルシエのロゴをプリントしました。ツール・ド・フランスや、タイムトライアルがあった他のレースで、私はそれを着て走りました。とてもいい製品だったので、その後もいくつかのレギュラーショーツを持っていました」

 
●トニ・マイヤーの補足
「あなたはルガーノのタイムトライアルレース(1978年のGP・ルガーノ)で大きな勝利を得ました。フランチェスコ・モゼール(イタリア)に勝ったんですから。山岳スペシャリストが来て、TTスペシャリストのモゼールを打ち負かしてしまった。モゼールはちょっと低迷していたから、すぐに注文してきましたよ」
 

ベルナール・イノー(フランス)

ルノー時代にアソスがチームのサプライヤーだったイノー 
ルノー時代にアソスがチームのサプライヤーだったイノー 
1954年生まれ、63歳。1975年から1986年までプロ選手だった。ツール・ド・フランスで5回、ジロ・デ・イタリアで3回、ブエルタ・ア・エスパーニャで2回勝ち、グランツールの総合優勝回数は合計10回。1980年には世界タイトルも取った。

[主な戦歴]
ツール・ド・フランス  総合優勝(1978、1979、1981、1982、1985)
ジロ・デ・イタリア  総合優勝(1980、1982、1985)
ブエルタ・ア・エスパーニャ  総合優勝(1978、1983)
世界選手権  ロードレース  優勝(1980)
パリ〜ルーベ  優勝(1981)
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ  優勝(1977、1980)
ジロ・デ・ロンバルディア  優勝(1979、1984)



●イノーが語ったアソスとの出会い​
「最初にアソスを使ったのはルノーチームの時で、ツール・ド・フランスのタイムトライアルスーツでした。それはスキー競技に使用されていた素材で作られていて、自転車競技用には滑りすぎていましたが、コースに出た時はそんなに滑りませんでした(笑)。以前は、多かれ少なれちょっとアクリルの入ったウール製で、素晴らしいものではありませんでした。あれは自転車競技での近代的な素材の始まりで、全てのサイクリングウエアが大きな進化を遂げました」
 

ウルス・フロイラー(スイス)

80年代にトラックとロードの両方で活躍したスイス人のフロイラー
80年代にトラックとロードの両方で活躍したスイス人のフロイラー
1958年生まれ、59歳。80年代にトラックとロードレースの両方で活躍したスプリンター。1981年から1991年までプロ選手だった。トラック世界選手権のポイントレースで8回、ケイリンで2回チャンピオンに輝いた。

1981年のツール・ド・フランスはオランダのTI・ラレーチームに雇われ、ヨープ・ズートメルクのチームメートで走って区間優勝した。ジロ・デ・イタリアでは区間通算15勝し、1984年にはポイント賞も取っている。現在彼はチューリッヒ郊外のアルテンドルフにアソスのプロショップを所有している。


[主な戦歴]
トラック世界選手権  ポイントレース  優勝(1981、1982、1983、1984、1985、1986、1987、1989)
トラック世界選手権  ケイリン  優勝(1983、1985)
ツール・ド・フランス  区間1勝(1981)
ジロ・デ・イタリア ポイント賞(1984)



●フロイラーが語ったアソスとの出会い​
「アソスとの最初の接点はスイスチャンピオンジャージでした。あれは1980年だったと思います。私はポイントレースでナショナル選手権を勝ちました。そのジャージはアディダスがスポンサーでしたが、製造していたのはアソスでした。その後、私はたくさんの6日間レースに出ました。6日間レースでは、ショーツはとても重要でした。そして私は、他の全てのブランドと比べてアソスが最高であることを発見したんです」
 

ミゲル・インドゥライン(スペイン)

現役時代はアソスを着て走ったことはなかったが、今はアソスしか着ないというインドゥライン
現役時代はアソスを着て走ったことはなかったが、今はアソスしか着ないというインドゥライン
1964年生まれ、53歳。1984年から1996年までプロ選手だった。ツール・ド・フランスを1991年から1995年まで5年連続で総合優勝。1992年と1993年はジロ・デ・イタリアも制し、2年連続でダブルツールを成し遂げた。彼はアソスブランドの親密な友人であり、今はアソスだけを身に着け、アソスのイベントにはしばしばゲストとして招かれている。

[主な戦歴]
ツール・ド・フランス  総合優勝(1991〜1995)
ジロ・デ・イタリア  総合優勝(1992、1993)
アワーレコード(1994)
世界選手権 個人タイムトライアル  優勝(1995)
アトランタ・オリンビック 個人タイムトライアル  優勝(1996)



●インドゥラインが語ったアソスとの出会い​
「私はアソスを着てレースを走ったことは一度もありませんでした。しかし、テカチーム(70年代〜80年代に活動していたスペインのチーム)がアソスのジャージを着ていたので、私はアソスブランドと出会いました。それはスペインでは目新しく、非常に異なったタイプの素材でした。私は当時、エチョンドを着て走っていましたが、アソスはより強い素材を使っていました」

 

ニコラ・ロッシュ(アイルランド)

アマチュア時代は自分でアソスを買っていたと語ったロッシュ 
アマチュア時代は自分でアソスを買っていたと語ったロッシュ 
1984年生まれ、33歳。2005年にプロ転向。現在、アソスがサプライヤーである米国のBMCレーシングチームに所属している。1987年にツール・ド・フランスで優勝したステファン・ロッシュの息子。父のおかげで彼はマイヤー・ファミリーの長年の友人である。彼は数多くのチームでキャプテンを務め、アルベルト・コンタドール(スペイン)とクリストファー・フルーム(英国)の両方をアシストした経験がある。

[主な戦歴]
ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間2勝(2013、2015)
アイルランド選手権  ロードレース  優勝(2009、2016)
アイルランド選手権  TT  優勝(2007、2016)



●ロッシュが語ったアソスとの出会い​
「私はジュニアとアンダー23の頃に、顧客としてアソスを使い始めました。アマチュアチームでは、必要な装備をすべてもらえるものではありません。ショーツとジャージだけで、手袋、ソックス、シューズカバー、とりわけ雨具のようなものはもらえず、自分で買わなければならなかったのです。TVを観ていると、いつもアソスを着た選手たちがいました。それは最高だったからです。

私は少し節約して、最初にちょっとしたものを買うことができました。それはアソスのシューズカバーで、少し輝いていました。他のシューズカバーは、みんなとてもマットでパッとしませんでした。アソスはとても見映えが良く、自転車のシューズではなくフットボールのブーツを履いているように見えました。

あれから15年が経ち、アソスは今、ボクのチームのスポンサーです。本当に良いです。第1に、以前はお金を払わなければならなかったからです。第2に素材がよく、クオリティがとても高いので、それで走るのは特権だからです。去年、私たちがスタートに着くと、選手がみんなやって来て、アソスを使えるなんて何てラッキーなんだ! と、言われました」

 

グレッグ・バンアーベルマート(ベルギー)

リオ五輪で獲得した金メダルを持参したバンアーベルマート
リオ五輪で獲得した金メダルを持参したバンアーベルマート
1985年生まれ、32歳。2006年にプロ転向。現在、アソスがサプライヤーである米国のBMCレーシングチームに所属している。2016年にリオ・オリンピックのロードレースで金メダルを獲得。2017年にはパリ〜ルーベで優勝し、UCIワールドツアーランキングで年間首位を獲得した。

[主な戦歴]
リオ・オリンピック  ロードレース  優勝(2016)
パリ〜ルーベ 優勝(2017)
UCIワールドツアーランキング 年間首位(2017)
ツール・ド・フランス  区間2勝(2015、2016)
ブエルタ・ア・エスパーニャ  区間優勝(2008)
ブエルタ・ア・エスパーニャ ポイント賞(2008)



●バンアーベルマートが語ったアソスとの出会い​、そしてオリンピック・ジャージのデザインについて
「私がまだ子供だった80年代に、父親がアソスのショーツを買ってきたのを覚えています。私は本当にその素材が好きでした。私たちは自転車の上で本当に長い時間を過ごすので、快適さは私にとって大きな関心事です。クラシックライダーとして、私にとって本当に重要なのは、適切な場面で自分の体を暖かく保つことで、フレッシュな状態でゴールに向かうことです。

オリンピック・ジャージの問題は、世界チャンピオンのアルカンシエルと違って、指定されたデザインがないことです。UCI規則を満たしていれば、自分独自のオリンピック・ジャージをデザインできます。アソスがゴールドの帯を腕、BMCのロゴ、襟の部分にあしらったのは、本当に素晴らしい仕事だと思います。だからこのジャージが本当に誇らしいです」
 

FORTONI SHORT SLEEVE JERSEY

ダークブルー(フロント)
ダークブルー(フロント)
フォートニ ショートスリーブジャージ

一見クラシックに見えるジャージだが、その素材は最新の吸水発散効果と速乾性に優れた「Type.112 Dual」を使用。
袖口は切りっぱなしで、縫い目がなくスマートなルックスを実現。

レギュラーフィットを採用しているので、レーシーな走りはもちろんカフェサイクリングなどのシーンにもマッチする。

創業年の「76」と勝者の証である月桂冠、クラシックで縦に連なる「ASSOS」ロゴが左胸と背面上部に入る。フロントはフルジップだ。

バックポケットはマチがあるので、容量を確保しつつ着心地を損なわない。

●スペック
フィット : レギュラーフィット
カラー : caleumBlue, sageSilver, azzurroNazionale
サイズ : XS S M L XL 
パーツ : 3テキスタイル 11パターン, 10コンポーネント
メインマテリアル : Type.112 Dual + Push Pull
SPF30 UVプロテクション
(スリーブとサイドパネルはSPF50)
価格 : 22,000円 (税別)

2月下旬発売開始


問・アソス
 

 
ダークブルー(バック)
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グリーン(フロント)
グリーン(フロント)
アズーロ(フロント)
アズーロ(フロント)