ブエルタ・ア・エスパーニャ 2014 総集編
ツールのケガから奇跡の復活!
第69回ブエルタ・ア・エスパーニャ(UCIワールドツアー)は、地元スペインのアルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ)が3度目の総合優勝を果たして幕を閉じた。
コンタドールはツール・ド・フランスの第10ステージで落車し、右ヒザのすぐ下の脛骨(スネの骨)を骨折してリタイアしていた。負傷したのは7月14日で、ブエルタの開幕は8月23日。腱や靭帯は損傷していなかったとはいえ、ブエルタへの参加は不可能だと医師は診断していた。
しかし彼は、不可能を可能にする男だった。ツールの事故からちょうど1ヶ月後に、コンタドールはブエルタ出場を発表した。そのとき彼は総合優勝は視野には入れていなかった。復帰はあくまでも来シーズンに向けての一歩であり、最終週に区間優勝が競えればいいと考えていた。
実際、開幕前に優勝候補として名前が上がっていたのは、6月にジロ・デ・イタリアで総合優勝したコロンビアのナイロ・キンタナ(モビスター)や、コンタドール同様に今年のツールを序盤の落車のケガでリタイアした英国のクリストファー・フルーム(スカイ)だった。
ところがキンタナは、一度は総合首位に立ってマイヨ・ロホを獲得したにもかかわらず、第10ステージの個人タイムトライアルで落車して大幅に遅れてしまい、総合争いから脱落してしまった。不運なコロンビア人は翌日にふたたび落車に巻き込まれ、レースを去っていった。
コンタドールはこの個人タイムトライアルで総合首位に立った。いままで競ったグランツールで、一度獲得したリーダージャージを他人に譲り渡したことはない。それは、今年のブエルタでも同じだった。
前半戦は調子の上がらなかったフルームが、後半戦の山岳ではコンタドールに何度も攻撃を仕掛けたが、けっして大差を付けられはしなかった。
母国のライバルであるアレハンドロ・バルベルデ(モビスター)やホアキン・ロドリゲス(カチューシャ)の挑戦も退け、コンタドールは3週間の闘いのゴールだったサンチャゴ・デ・コンポステラに、勝者としてたどり着いた。
巡礼の街で行なわれた最後の個人タイムトライアルは、コンタドールの凱旋パレードだった。大勢のファンの声援を受けて、彼はガッツポーズでゴールラインを通過した。
31歳のコンタドールにとって、ブエルタでのこの優勝は6回目のグランツール制覇だ。クレンブテロール事件で剥奪されてしまった2勝を入れれば、8回目になる。彼の挑戦は、まだまだつづく。
[アルベルト・コンタドールのグランツール優勝記録]
2007 ツール・ド・フランス
2008 ジロ・デ・イタリア
2008 ブエルタ・ア・エスパーニャ
2009 ツール・ド・フランス
2010 ツール・ド・フランス ※剥奪
2011 ジロ・デ・イタリア ※剥奪
2012 ブエルタ・ア・エスパーニャ
2014 ブエルタ・ア・エスパーニャ
●コンタドールのコメント「医療の専門家たちがツールでの落車のあとでボクに告げた言葉はまだ心に残っている。ブエルタに向けて回復する時間はなかったが、彼らが間違っていると証明するために、できることをすべてやったんだ」
「事故の翌日に、ボクはもうすでに筋肉のためのエクササイズをしようと努力していた。ブエルタで復帰して総合争いができるとは思っていなかったが、必要とされるレベルに戻るだけの時間はあった」
「総合優勝が可能だと最初に自分自身に言いきかせたのは、バルデリナレス山(第9ステージ)でだった。そのときまではボクは苦労していたが、幸運にも重要な局面ではいつもチームメートがサポートしてくれていた。そしてボルハの個人タイムトライアルは、レースについてのボクの考えを完全に変えてしまった」
「ブエルタでの3勝はどれも特別だ。2008年の1勝目は3冠(ジロ、ツール、ブエルタ制覇)をもたらしてくれた。2012年のときはトップレベルではなかったが、第17ステージのフエンテ・デでやったクレイジーな戦略のおかげで成功した」
「今回はツールの落車のあとで、望むような準備はできなかった。けれどまず第一に、ボクは生き残ることができて、そして攻撃した。最高の選手たちと闘って勝つのはボクが大好きなことさ」
「2015年について話すのはまだ少し早いが、ボクには夢がある。それは3つのグランツールに参加することだ。いつかそれを実現できるかどうかはわからない。今夜は計画なんて立てたくないよ。でも、それは可能だと思いたいのさ」
明暗を分けた個人タイムトライアル
今年のブエルタ・ア・エスパーニャは、スペイン南部アンダルシア地方のヘレス・デ・ラ・フロンテラで、チームタイムトライアルを競って開幕した。そこで区間優勝したのは、ナイロ・キンタナが総合を争うエースとして選ばれていた地元スペインのモビスターチームだった。
アルベルト・コンタドールのティンコフ・サクソは19秒遅れだったが、クリストファー・フルームのチームスカイは27秒遅れ、ホアキン・ロドリゲスのチームカチューシャは38秒遅れで3週間の闘いをスタートさせた。
第6ステージの、今年最初の頂上ゴールだったクンブレスベルデス山で強さを見せたのは34歳のアレハンドロ・バルベルデ(モビスター)だった。彼はキンタナのために集団を引き続け、その勢いを失うことなく区間優勝し、総合首位に立った。
しかし、モビスターのエースはキンタナだった。2度目の頂上ゴールだった第9ステージのバルデリナレス山では、アタックしたコンタドールをゴールでとらえ、総合首位に立ってバルベルデからマイヨ・ロホを引き継いだ。
バルベルデを筆頭とした強力なアシストを持ったキンタナが、いよいよレースを支配するかと思われたのだが、思わぬ落とし穴が翌日の個人タイムトライアルで待ち受けていた。
最終走者のキンタナは、36.7kmの行程の11.2km地点にあったカテゴリー3の丘を、トップで通過したコンタドールからたった20秒遅れで通過した。ところが下りに入ってすぐに、彼はカーブでブレーキを十分にかけそこなって転倒し、背中から地面に叩きつけられてしまったのだ。
幸いひどいケガはなかったが、キンタナはしばらくレースに復帰できず、そこで2分を失ってしまった。結局彼は区間優勝したトニー・マルティン(オメガファルマ・クイックステップ)よりも4分以上遅れてゴールし、総合ではトップ10から脱落してしまった。
明暗を分けた個人タイムトライアルが始まる前に、コンタドールは総合首位のキンタナにたった3秒遅れの2位に付けていた。彼は個人タイムトライアルで39秒遅れの区間4位になり、キンタナに変わって総合首位に立った。
この個人タイムトライアルでフルームは1分32秒遅れの区間10位と振るわず、総合ではコンタドールに1分18秒差を付けられてしまっていた。しかし、フルームは強いチームメートたちの力を借りて、後半戦での逆転を虎視眈々と狙っていた。
コンタドール VS フルーム!
第15ステージのラゴス・デ・コバドンガの頂上ゴールで、バルベルデとロドリゲスの攻撃に何とか耐えたコンタドールには、翌日のクイーンステージではフルームとの一騎打ちが待ち構えていた。
スタートからカテゴリー1と2の峠を4つ越えた第16ステージは、カテゴリー1のラ・ファラポナでゴールする過酷なレイアウトだった。チームスカイがコントロールを続けていた集団から、ゴールまで残り4kmでフルームがアタックしたのを、コンタドールは見逃さなかった。
バルベルデとロドリゲスは遅れを取ったが、コンタドールはフルームの後方から離れることなくゴールを目指した。そしてフラム・ルージュ通過後にアタックしてフルームを置き去りにすると、今大会での初優勝を得意のガンマンポーズで自ら祝った。
最終日の前日に設定されていた、カテゴリー超級のアンカレス頂上ゴールでも戦況は変わらなかった。その日も最後に残ったのはフルームとコンタドールの2人だったが、結局フルームは上り坂でコンタドールを脱落させることはできなかったのだ。
しかしフルームは「今年のブエルタは本当にレベルが高かった。その一部になることができてうれしい。チームメートたちのためにも、この成績を残す責任があった。序盤に調子の悪い日が何日かあって、そのツケが回ってきたのだが、彼らはずっとボクを支えてくれたからね」と、レース後に語っていた。
昨年ツールで総合優勝したフルームは、結局グランツールで区間優勝すら上げることなく、今シーズンを終わることになった。
第69回ブエルタ・ア・エスパーニャ結果
1 アルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ/スペイン)81時間25分05秒
2 クリストファー・フルーム(チームスカイ/英国)+1分10秒
3 アレハンドロ・バルベルデ(モビスター/スペイン)+1分50秒
4 ホアキン・ロドリゲス(カチューシャ/スペイン)+3分25秒
5 ファビオ・アルー(アスタナ/イタリア)+4分48秒
6 サムエル・サンチェス(BMC/スペイン)+9分30秒
7 ダニエル・マーティン(ガーミン・シャープ/アイルランド)+10分38秒
8 ワレン・バルギル(ジャイアント・シマノ/フランス)+11分50秒
9 ダミアーノ・カルーゾ(キャノンデール/イタリア)+12分50秒
10 ダニエル・ナバロ(コフィディス/スペイン)+13分02秒
■ブエルタ・ア・エスパーニャ 2014 コース、スタートリスト