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アルーがグランツール初制覇! ブエルタ・ア・エスパーニャ2015
2015.09.15
記念大会にふさわしい優勝候補たちがスタート
1935年に創始し、今年80年の節目を迎えた第70回ブエルタ・ア・エスパーニャ(UCIワールドツアー)は、記念大会にふさわしいビッグな優勝候補たちが顔をそろえる大会になった。
ディフェンディングチャンピオンのアルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ)だけは、今季すでにジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスを走ったため参加しなかったのだが、7月に開催されたツール・ド・フランス(UCIワールドツアー)で、パリの表彰台に上がった英国のクリストファー・フルーム(チームスカイ)、コロンビアのナイロ・キンタナ(モビスター)、地元スペインのアレハンドロ・バルベルデ(モビスター)の3人がふたたび顔をそろえた。
圧倒的な強さで2度目のツール優勝を果たしたばかりのフルームには、1シーズンにツールとブエルタの2つのグランツールで優勝する快挙が期待されていた。それを過去に成し遂げたのは1963年のジャック・アンクティル(フランス)と、1978年のベルナール・イノー(フランス)という、チャンピオンの中のチャンピオンだけだ。しかも、当時は春に開催されていたブエルタが1995年に日程を変更し、ツールの後に開催されるようになってからはまだ誰も成し遂げてはいなかった。
今年のツールでは前年度の覇者でありながら、総合4位という成績に終わって辛酸をなめたイタリアのビンチェンツォ・ニーバリ(アスタナ)も、今年のジロで総合2位になった同郷のファビオ・アルー(アスタナ)とともに、グランツール優勝経験者が揃った今年のブエルタ優勝候補の一角を占めていた。
ところがニーバリには、信じられないような不運が待ち受けていた。ブエルタが開幕してたった2日目に、彼は落車に巻き込まれて集団から大きく遅れてしまった。そして集団へと復帰する道程で、彼はチームカーにつかまって走ったことが発覚し、ブエルタから追放されてしまったのだ。
アスタナにはまだ総合争いができるアルーが残っていたが、この日の落車で負傷したパオロ・ティラロンゴが翌日のステージでリタイアし、序盤から7人で闘わなければならないハンデを負ってしまった。
予想外のマイヨ・ロホ
3週間の長丁場を闘うグランツールでは、前半戦に期待されていなかったような若手の選手が活躍して脚光を浴びることはよくある。今年は2日目から設定されていた頂上ゴールで、区間優勝を競ったコロンビアのエステバン・チャベス(オリカ・グリーンエッジ)とオランダのトム・ドゥムラン(ジャイアント・アルペシン)がその役回りだと思われた。ところがドゥムランは、第9ステージの厳しい頂上ゴールでフルームを打ち負かしてしまったのだ。
その2日前に行われた頂上ゴールのステージで、フルームはアルーのアタックについて行けず、メイン・グループから脱落し、コンディションが万全ではないのではないかと思われていた。しかし、第9ステージではゴールまで残り2.7kmでアタックしたドゥムランを、フルームは自ら先頭を引いて捕らえ、そのまま先行して区間優勝しそうな力強い走りを見せた。ところがゴールまで残り100メートルで、後方からドゥムランがスパートしてフルームを追い抜き、区間優勝と総合首位の両方を手中に収めてしまった。
ドゥムランが所属するドイツのジャイアント・アルペシンは、スプリントステージでジョン・デゲンコルプを区間優勝させることが目標であり、そのためにチームは編成されていた。TTスペシャリストであるドゥムランには、デゲンコルプをサポートする他にも、第17ステージに設定されていた個人タイムトライアルで勝つことが個人的な目標として掲げられてはいたが、彼自身にもチームにも、総合成績を争う準備はまったくできていなかった。
そして迎えた第11ステージ。今年のブエルタで最も厳しいクイーン・ステージは、スタートからピレネーの峠を5つ越え、標高2095メートルでカテゴリー1のコルタルス・デンカンプの山頂にゴールするレイアウトだった。
この重要なステージで、またもや予期せぬ事故が起こった。スタートしてすぐにフルームが落車し、右足を負傷してしまったのだ。この日彼は9分近く遅れてゴールし、総合争いから脱落した。ゴール直後、右足に体重をかけてあるけないほどになっていたフルームは検査で骨折が見つかり、翌日は出走しなかった。
フルームを失ったメイン集団では、クイーン・ステージの最後の登坂でアルーがアタックを決め、総合のライバルたちにわずかなタイム差を付けることに成功した。この大事なステージで精彩を欠き、大きく遅れたキンタナは、実は前夜に高熱を出して体調が万全ではなかった。マイヨ・ロホを獲得したアルーに3分以上遅れてしまったキンタナもまた、総合優勝争いから姿を消すことになった。
クイーン・ステージを終えたブエルタは、総合首位のアルーを地元スペインのホアキン・ロドリゲス(カチューシャ)が27秒差で追い、ドゥムランが30秒差で3位に留まっていた。気がつけば総合成績の上位にグランツールでの優勝経験があるビッグネームの名前はなく、誰が優勝してもグランツールで初優勝、という展開になっていた。
グランツール初優勝をかけた激闘
ロドリゲスはその後つづいた山岳3連戦でじわじわとアルーを追い上げ、第16ステージでついに逆転し、たった1秒差で総合首位に立った。しかし彼がマイヨ・ロホを着て挑まなければならなかったのは、苦手な個人タイムトライアルだった。
そこで息を吹き返したのがTTスペシャリストのドゥムラン。彼は山岳3連戦で何とか生き残り、ロドリゲスに1分51秒遅れの総合4位に踏みとどまっていた。そして彼は第17ステージの38.7kmの個人タイムトライアルで圧勝し、ふたたびマイヨ・ロホを奪い返したのだ。しかしアルーも個人タイムトライアルで善戦し、たった3秒差の総合2位になっていた。
ゴールのマドリードに到着するまでには、まだ3日間の厳しいステージが残されていた。頂上ゴールはもうなかったのだが、3週間の疲労はピークに達していた。そして何よりもドゥムランには、今まで経験したことのないレースリーダーという重圧が大きくのしかかっていた。
そして最終日前日の山岳ステージで、ついにドゥムランは力尽きた。あと2つ、あとたった2つの峠をアルーと一緒に越えられれば勝てたのだが、アタックに付いて行くことができなかった。そしてアスタナ勢は、みごとなチームプレーでアルーを総合初優勝へと導いていった。
そこで緊張の糸が切れてしまったドゥムランは、闘うことをあきらめてしまった。結局彼はこのステージで大幅に遅れてしまい、総合首位の座から6位にまで転落。レース後、ジャイアント・アルペシンのクリスティアン・ギベトー監督は、ドゥムランが運命の日の前夜に体調を崩していたことを明らかにした。まだ若いドゥムランにとっては、毎日が限界ギリギリで、ストレスに押しつぶされてしまったようだ。
すでにグランツールで何度も総合争いを経験していたアルーは、精神面でドゥムランに勝っていた。彼はけっしてあきらめることなく、最終日前日に総合逆転をやってのけ、25歳でグランツール初制覇を成し遂げた。「この勝利は僕だけのものではなく、チームのものでもある。ブエルタを通して、みんなは本当によく働いてくれた。スタートは厳しいものだったが、ずっとモチベーションを持ちつづけていたよ」と、アルーは語っている。
[ブエルタ・ア・エスパーニャ2015結果]
1 ファビオ・アルー(アスタナ/イタリア)85時間36分13秒
2 ホアキン・ロドリゲス(カチューシャ/スペイン)+57秒
3 ラファウ・マイカ(ティンコフ・サクソ/ポーランド)+1分09秒
4 ナイロ・キンタナ(モビスター/コロンビア)+1分42秒
5 エステバン・チャベス(オリカ・グリーンエッジ/コロンビア)+3分10秒
6 トム・ドゥムラン(ジャイアント・アルペシン/オランダ)+3分46秒
7 アレハンドロ・バルベルデ(モビスター/スペイン)+6分47秒
8 ミケル・ニエベ(チームスカイ/スペイン)+7分06秒
9 ダニエル・モレノ(カチューシャ/スペイン)+7分12秒
10 ルイ・メインティス(MTN・クベカ/南アフリカ)+10分26秒
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