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ジャパンカップ3位、雨澤毅明インタビュー 貪欲に、ポジティヴに、もっともっと上を求めて

ツール・ド・ラヴニールや世界選手権での厳しい試練は、決して無駄ではなかった。経験が雨澤毅明(宇都宮ブリッツェン)を強くし、挫折が意志を鍛えた。

大雨のジャパンカップで表彰台に上り、「悔しい」と漏らした23歳は、この先もさらなる高みを目指していく。

 
text:Asaka Miyamoto photo:jeep.vidon

3位フィニッシュ後の表情は、けっして明るいものではなかった


ジャパンカップ3位に終わった直後の、「悔しい」というコメントが印象的でした。

雨澤:悔しさしかありません。結果を残すことができて、ほっとした、という気持ちも確かにあります。でも嬉しい気持ちはまるでないですね。レース前から表彰台を目指していました。周囲に公言もしていました。実際に表彰台を狙えるという自信があったからです。だから自分が表彰台に登ったことに、特別、驚いてはいないんです。むしろ、だったら優勝も狙おうよ!っという感じでした。


表彰台を狙えるという自信を、どのように築いていったんですか?

雨澤:ツール・ド・ラヴニールを終えた後、たとえばスペインのレースで、いい走りができたんです。実はラヴニール直後は引退を考えたほどでした。もうやめてしまおうか、というくらい気持ちが沈みました。スペインのレースだって、本当は走りたくないなぁ……と。でも実際に走ってみたら感触が良かった。ラヴニールで厳しいレースを闘ってきたおかげで、実力的に大きくアップしたことを実感しました。

「ああ、このレベルのレースなら、ちゃんと走れるんだ」と自信になりました。そこからですね。「この感じだったら、ジャパンカップも表彰台を狙えるな」と考え始めたのは。

 

たしかにラヴニールの後は、声をかけるのもはばかられるほど、ものすごく肩を落としていましたが……。

雨澤:本当に落ち込みました。「はぁ、ダメだった」とため息ついちゃうような感じでしたね。でもネガティヴな「ダメ」から、徐々にポジティヴな「ダメ」に変わっていったんです。「もっとやらなきゃダメなんだ」という方向に。

スペインのレースを走ってからは、「ここではちゃんと走れた。でも、まだまだ、ダメだ。もっとやらないと、ラヴニールのあいつらには届かないぞ」という、ポジティヴな思いに変わりました。

以前より貪欲さが出たような気がします。勝つことにもこだわるようになりましたし、強くなることも、もっともっと求めるようになりました。気持ちがはるかに強くなりました。


それが輪島での強い勝ち方にもつながりましたか?

雨澤:輪島は、自分の中では、勝って当然の気持ちでした。むしろ「もっと圧倒的に勝たなきゃダメ。もっともっと」と思ったくらいです。ヨーロッパに遠征をしている時、日本のレースをインターネットでチェックしていたんですけれど、愕然としたんです。「なんだこれは!こんな緩いレースをやっていてはダメだ!」って。

だから僕はあんなレースは絶対にしない、自分からアタックして、きついレースにして、絶対勝つぞ、と心に誓いました。勝つこと前提で、圧倒的な走りを見せることにこだわりました。輪島での勝利は「あれが出来て当たり前」という感じでしたね。
 

浅田顕監督の率いるU23ナショナルチームの一員として2年間ヨーロッパを遠征してきた経験が、つまり今回の表彰台に大きく直結している?

雨澤:ヨーロッパの経験……というより、ラヴニールの経験です。ラヴニールが全てです。本当にあのレースは特別でした。

先週にNIPPOの小林海選手と話す機会があったんですが(小林は2016年ラヴニール出場)、「あのレースは異常」「あんな命がけのレースはない」と意見が一致しました。イタリアでレベルの高いUCIレースを走ってきた小林選手から見ても、あれは異質だったようです。うん、やっぱりラヴニールは特別です。出場選手全員が命がけで走っているレースなんて、あそこ以外にないですよ。

おそらく、あのレース以上の凄いレースは、もはやツール・ド・フランスしかないんじゃないですか(笑)。

そう言い切っちゃってもいいくらいの経験でした。ラヴニールを走ったからこそ、もはや恐れるものなどなにもなくなりましたからね。ラヴニールで僕の全てが変わりました。

 

じゃあジャパンカップでワールドツアーの選手たちと対峙することに、特別な意識はなかった?

雨澤:全く物怖じしませんでした。それは、ものすごく、気持ちの上で大きなことでした。結局、僕がラヴニールで勝負したのは、ワールドツアーの選手であり、ワールドツアーにこれから入ってく選手なんです。ラヴニールで優勝したベルナルは来季からすでにスカイに行きますもんね。つまり、そういうレベルの奴らと、自分は戦おうとしていた。実際に9日間に渡って戦ってきた。まあ、その世界で本当に勝負ができたのか、というとそれはちょっと語弊があるかもしれません。でも僕が、あの世界に勝負を挑んだことは、間違いのない事実です。ラヴニールの厳しさがあったからこそ、以降のレースは物怖じせず、自信を持って臨めるようになりました。ワールドツアーの選手がいようがいまいが、そんなことはもはやどうでもよくなっていました。ラヴニールの経験がなかったら、自分はここにはいなかった。本当に大きな経験をさせてもらいました。


新城幸也選手に続くジャパンカップ3位入りです。この表彰台はどんな意味を持ちますか?

雨澤:もちろんジャパンカップ表彰台は特別なモノですし、光栄なことです。でも、そんなに、重く受け止めずにいきたいです。というか、重く受け止めてはならない。ここで傲慢になりたくはないですし、まだまだでしょ、っていう思いがあります。

新城選手と同じ順位に入れたからといって、じゃあ新城選手と同じくらいの実力があるのか?って聞かれたら、そんなことは全くないわけですから。まだまだ差は大きい。いや、ほんと、まだまだだなぁ……って。

ジャパンカップ3位という成績のみをクローズアップするのではなく、もっと大きな視野で、自分のキャリアを評価していきたいです。ただ「海外に行く」と考えた時に、この成績は大きなポイントになると思います。ワールドツアーから4チームが来ていたということは、「海外の目」があるということ。

そういう言う意味では、来年以降に向けて、今後のステップアップに向けて、海外に向けてのアピールに出来たらいいなと。
 


来年からは本格的なエリート世代に入りますが、どんな選手になりたいですか?

雨澤:中学の時にテレビでレースを見て、真っ先に憧れたのが、実はコンタドールでした。「なんでこんなに速く上れるんだ!?しかも平地もこんなに速いのか!?」って、純粋に、速さに対して驚きを抱きました。圧倒的な強さに憧れました。今回はただ遠目で眺めていただけですけど……。

とにかくコンタドールに憧れて、コンタドールみたいに走れるようになりたい、って思ったのがきっかけでロードレースを始めたんです。

でも、中学生の頃は、ただ「将来は自転車選手になりたいな~」とぼんやり思っていただけ。本当になれるかどうかなんて分かりませんでしたけどね。だから、あの頃のことを考えると、正直に、「ああ、ここまでは来られたな」との思いがあります。

一方では「もっと早くここまでたどり着きたかった」とも焦りもあります。今は絶対にワールドツアーに入りたい。ツール・ド・フランスを走りたい。それこそが自転車に憧れて、自転車に乗り始めた全ての選手が目指す地点です。だから自分も、あくまでも、そこを目指し続けたいと思っています。