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イタリアチャンピオンのニーバリが初優勝! ツール・ド・フランス2014 ハイライト

フルーム、コンタドールがケガでリタイアし、ライバル不在になったツール・ド・フランスは第3の男、ニーバリが圧勝した

 

Photo: Graham Watson

ライバルなきマイヨ・ジョーヌ

第101回ツール・ド・フランス(UCIワールドツアー)は、ビンチェンツォ・ニーバリ(アスタナ)がイタリア人として16年ぶりの総合優勝を果たして幕を閉じた。

シチリア島で生まれ、『メッシーナ海峡のシャーク』と呼ばれるニーバリは、2010年にブエルタ・ア・エスパーニャを制し、昨年は母国のジロ・デ・イタリアでもバラ色の王座を勝ち取った。

 

3大ツアーで最後のタイトルを勝ち取るために、ニーバリは直前に闘ったイタリア選手権で優勝し、3週間の長旅のお守りとなるイタリアチャンピオンジャージを手に入れた。そのとき彼は、過酷な闘いを覚悟していたにちがいない。

 

『イル・ピラータ(海賊)』と呼ばれたマルコ・パンターニのように、マイヨ・ジョーヌをイタリアに持ち帰るためには、2人のツール優勝経験者を倒さなければならないのは宿命だった。ところがニーバリには、思いもよらない運命がフランスで待っていた。

 

ディフェンディング・チャンピオンのクリストファー・フルーム(チームスカイ)と3大ツアー制覇者のアルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ)は、どちらも不慮の事故でレースを続けることができなくなり、今年のツールを去ってしまったのだ。

 

気がつけば、追いかけなければならないライバルはもういなかった。ニーバリ自身も、重要なチームメイトたちがケガで十分に働けず、山岳で孤立する場面に何度も遭ったが、闘わなければならない相手は彼1人でも立ち向かえる程度のレベルだった。

 

パリに到着したとき、ニーバリと総合2位になった地元フランスのジャンクリストフ・ペロー(AG2R)のタイム差は、7分37秒も開いていた。それだけの大差は、ドーピングでツールを7年間支配した米国のランス・アームストロングですら付けたことがなかった。

 

歴史をさかのぼれば、ツールで今年以上のタイム差が付いたのは、ドイツのヤン・ウルリッヒが優勝した1997年だ。その年、9分9秒遅れで総合2位だったのは、フランス人のリシャール・ヴィランクだった。

 

奇しくもそれは、開催国フランスが前回パリの表彰台に上がった年でもあり、ペローは今年、総合3位のティボー・ピノ(FDJ.fr)とともに、17年ぶりでその快挙を成し遂げたのだ。

 

大英帝国での第一歩

ブラッドリー・ウィギンス(チームスカイ)が初めてマイヨ・ジョーヌを大英帝国に持ち帰ったのは2012年のこと。昨年はフルームが後継者としてふたたび優勝し、英国での自転車熱はまさにピークだった。

 

今年のグランデパールだった英国北部のヨークシャー地方では、信じられないような大観衆がツールを待ち構えていた。地元警察は、最初の2日間だけで250万人が沿道でツールを観戦したと発表している。

 

ヨークからシェフィールドまでで競われた第2ステージは、9ヶ所の丘を越えるアルデンヌ・クラシックのようなレースだった。ヨークシャーの小さな丘はどこも鈴なりの観客で、レースに熱い声援を送っていた。

 

そのステージのゴールまで残り2kmでアタックしたのは、イタリアチャンピオンのニーバリだった。彼はライバルたちに2秒差を付けてゴールし、早くも最初のマイヨ・ジョーヌを手中に収めてしまった。

 

3週間の長旅を考えれば、それは早すぎる攻撃だった。アスタナは3日目から集団をコントロールする責任を追わなければならなくなってしまったからだ。

 

しかし、アスタナのチームマネージャーであるカザフスタンのアレクサンドル・ヴィノクロフには、マイヨ・ジョーヌを手放す戦略は存在しなかった。

 

そしてニーバリの攻撃はつづいた。レースでは一度も走ったことがない、北フランスの石畳で競われた第5ステージでも、彼は雨にもかかわらず、シャークの名に恥じないアグレッシブな走りを見せたのだ。

 

前日の落車で左手首を負傷したライバルのフルームが、その日は石畳が始まる前に途中リタイアしていたことが、ニーバリの背中をさらに押したのかもしれない。

 

コンタドールに差を付けるためにニーバリは先頭グループでアタックを試み、区間3位でレースを終えた。そして雨の石畳ステージで、彼はコンタドールに2分半以上の差を付けることに成功した。

 

タイムを失ったのはコンタドールだけではなかった。アレハンドロ・バルベルデ(モビスター)や、フルームに変わってエースになったリッチー・ポート(スカイ)もここで遅れを取ってしまった。

 

娘に捧げた2勝目

第2ステージで総合トップに立ったニーバリとアスタナチームは、たった1日だけその座を明け渡した。

 

それは革命記念日前日に行なわれたボージュ山脈での第9ステージで、逃げを追って集団から飛び出した追走集団に加わっていたフランスのトニ・ガロパン(ロット・ベリソル)が、その栄誉を得る。

 

アスタナのジュゼッペ・マルティネッリ監督は「失ったのではなく、手放したのさ」と、言った。その翌日はラ・プランシュ・デ・ベル・フィーユにゴールする山岳ステージで、前半戦で非常に重要な一日だった。

 

山岳ステージに入り、すでに攻撃を開始していたコンタドールとの激しい闘いは必至であり、それに備えて力をセーブしておくために、アスタナはあえてガロパンを追うことはしなかった。

 

ヴィノクロフは「このマイヨ・ジョーヌはフランスへのプレゼントさ」とまで言っていた。アスタナの戦略の恩恵で、フランス人のガロパンは革命記念日の祝日にマイヨ・ジョーヌを着て走ることができたといえる。

 

しかし、マイヨ・ジョーヌを着ると不思議な力が与えられると言われるようなマジックは、革命記念日には起こらなかった。ガロパンはその日、1分34秒のアドバンテージをあっさりと失い、マイヨ・ジョーヌも手放した。

 

革命記念日に失望したのはガロパンだけではなかった。この日、ニーバリと激しい闘いを演じるだろうと期待されていたコンタドールは、前半に落車し、右ヒザを負傷。

 

コンタドールは峠を1つ越えたあと、痛みに耐えかねてレースを去っていった。レース後に行った精密検査で、彼は右脛骨(すねの骨)の、ちょうどヒザの下の部分を骨折していたことが判明している。

 

革命記念日にふたたび輝いたのはイタリアチャンピオンのニーバリだった。ラ・プランシュ・デ・ベル・フィーユの頂上ゴールまで3kmで彼がアタックすると、精鋭グループは崩壊した。その走りには、誰も付いて行けなかったのだ。

 

イタリアチャンピオンはおしゃぶりのポーズでフィニッシュラインを通過した。記者会見で彼は、その勝利を昨年9月に生まれたばかりの娘のエンマに捧げると語っていた。

 

今年のツールは、最初の10日間で2人の優勝候補を含めた18選手が棄権した。それは過去5年間の平均値より2人多かった。

 

長い眠りから目覚めたフランス勢の活躍

折り返し地点でマイヨ・ジョーヌのニーバリは、まだ総合2位のポートに2分23秒差、総合3位のバルベルデには2分47秒差しか付けていなかった。しかし、猛暑に見舞われたアルプス山岳初日に、ポートはマイヨ・ジョーヌ集団についていけなくなり、総合争いからも脱落してしまった。

 

アルプス初日のシャンルース頂上ゴールを制し、今大会で3勝目を上げたのはニーバリだった。彼は16年前にパンターニが達成できなかった、マイヨ・ジョーヌを着て区間優勝するという栄光の瞬間を味わうことができたのだ。

 

その日は奇しくもイタリアの偉大なカンピオーネであるジーノ・バルタリの生誕100年の記念日あり、19年前にツールの落車で命を落としたファビオ・カザルテッリの命日でもあった。

 

ポートの脱落で、ニーバリを追うライバルはバルベルデだけになるのかと思われたが、意外にも今年のツールはフランス勢が長い眠りから覚醒する大会へと転じていった。

 

後半戦の山岳では、アスタナよりもAG2R・ラモンディアルが積極的に集団の先頭を引き、レースをコントロールしようと試みた。そしてそれに対抗していたのが、2012年のツールで区間優勝し、総合10位に入ったティボー・ピノ(FDJ.fr)だった。

 

AG2R・ラモンディアルには、23歳のロマン・バルデと、37歳のジャンクリストフ・ペローという2つの駒があった。フランスの2チームは、パリの表彰台とマイヨ・ブランを争って激しくぶつかり合い、その闘いのなかで経験者のバルベルデが脱落してしまい、表彰台の座を失った。

 

ピレネーでの最後の闘いで、マイヨ・ジョーヌのニーバリが区間4勝目を上げた日に、ピノは区間2位で総合2位になり、ペローは総合3位の座を獲得した。しかし、最終日前日に行なわれた個人TTで、その順番は入れ替わった。

 

そして頂点へ…

3週間の闘いを終えたニーバリが到着したシャンゼリゼ大通りには、たくさんのイタリア国旗が打ち振られ、表彰式ではイタリア国歌が誇らしげに鳴り響いた。そこには、彼の妻ラケーレと娘のエンマの姿もあった。

 

彼は昨年、故郷シチリアに初のマリア・ローザをもたらした。そして今年は、イタリアチャンピオンジャージを着て挑んだツールで初優勝し、マイヨ・ジョーヌも手に入れてしまった。

 

もうニーバリには、欲しいジャージは1つしか残っていない。それは世界チャンピオンの証であるアルカンシエルだ。

 

今年のツールでニーバリが最初に区間優勝した日に、その勝利をいち早く予言したのは、長くイタリア代表監督をつとめ、今だに影響力を持ち続けている御年93歳のアルフレード・マルティニだった。

 

ニーバリは今年、ダビテ・カッサーニ新監督とともに世界選での優勝も目指すかもしれない。しかし、その道程はツールほどたやすくはないだろう。「ボクは世界選に挑戦するだろうが、ポンフェラダのサーキットが本当に自分に向いているかどうかはわからないよ」と、彼は語っている。

 

ブエルタ、ジロ、ツールをすべて制覇したニーバリは、まだ29歳だ。彼はこれからもグランツールを狙い続けると宣言している。それでも、いつかはアルカンシエルを着てグランツールを走りたいという望みは持ち続けている。

 

■総合優勝したニーバリのコメント「この数日間、ツールで最高の瞬間はいつだったかと聞かれたときに、ボクはシャンゼリゼの表彰台の上で感じるものは、幸福感とは比較できないだろうと思っていた。それは想像以上にすばらしいものだった」

 

「この勝利はチームと家族に捧げたい。妻のラケーレと娘のエンマがそばにいなければ、そして若いころ、両親の下で選手として成長していなければ、ここに到達できなかったと思う」

 

「人生でそう強く感じたのはとてもまれだ。ツールに感謝し、フランス国民に感謝し、みんなに感謝している」

 

第101回ツール・ド・フランス 個人総合最終成績

1 ビンチェンツォ・ニーバリ(アスタナ/イタリア)89時間59分06秒

2 ジャンクリストフ・ペロー(AG2R/フランス)+7分37秒

3 ティボー・ピノ(FDJ.fr/フランス)+8分15秒

4 アレハンドロ・バルベルデ(モビスター/スペイン)+9分40秒

5 ティージェイ・ヴァンガードレン(BMC/米国)+11分24秒

6 ロマン・バルデ(AG2R/フランス)+11分26秒

7 レオポルド・ケーニヒ(ネットアップ・エンデューラ/チェコ)+14分32秒

8 アイマル・スベルディア(トレック/スペイン)+17分57秒

9 ローレンス・テンダム(ベルキン/オランダ)+18分11秒

10 バウケ・モレマ(ベルキン/オランダ)+21分15秒

[各賞]

■マイヨ・ベール:ペーテル・サガン(キャノンデール/スロバキア)

■マイヨ・アポワ:ラファウ・マイカ(ティンコフ・サクソ/ポーランド)

■マイヨ・ブラン:ティボー・ピノ(FDJ.fr/フランス)

■チーム成績  :AG2R・ラモンディアル(フランス)

■スーパー敢闘賞 :アレッサンドロ・デマルキ(キャノンデール/イタリア)

 

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